大学卒業

2011年東日本大震災の年の9月、とうとう息子は大学卒業(祝´∀`)ノ.+:。卒業おめでとー。
諸事情で半年遅れの卒業となったが、半年だって学費払うのはわたし、、。

かなわない(;_;)5年生になんてならないでくれ!
だが、既に大人の息子4年生以降は残ってる単位(なによそれ?)によって授業料が決まるのでそんなに学費高くない。

この辺は総合大学卒業してないわたしは弱い。

正確にはいくらなんだ?なので大学に☎すると引き落としになる正確な金額教えてくれた。
もう野球部は引退してるんだから、これ以上大学生でいてくれてもわたし的にはメリットがない(ひどく利己的だけど)早く卒業してくれ。

だがまぁ、半年の希望留年3月は震災で東日本大変な時期だった。
でもうちは秋の卒業だったのでわたしはちゃんと卒業式にも出席しました。

ついでに息子に学帽と学生服用のボタン、政治経済学部の襟章買わされました。
卒業記念です。

何故か、息子家にある高校時代の学生服のボタン付け替え、ただ袖のボタンは縫い付け式だったので諦めていた。
なので、うちには前ボタン早稲田大学、袖ボタン横浜緑ヶ丘高校の学生服がどこかに今でもあるはず。





大学卒業してくれた。
院に進学する。だなんて言わないでくれたのでこれでもう永遠学費は払わなくてすむ。

明日から、社会人。
になってくれれば、もっとホットしたのだろうが、この時点ではそうはいかなかった┐(´д`)┌ヤレヤレ

進学塾の講師しながら芸能活動始める!
あのなーー!とはいえ、そもそも高校入学時点で野球より芸能活動推奨したのはほかならぬわたし。

ここより、息子の野球は完璧に草野球となりわたしは応援を断念したので息子の野球についてはこの章で終わり。
だが、この息子の現在は5年の芸能活動の末、いくつかの舞台務めて引退(今は卒業というそうだ。)全国紙の新聞社に入社して新聞記者をやっている。

わたしは野球ロスから立ち直ったかというと、一時はそれはそれはひどく落ち込んだ。
バカが(^O^)と、思いますがねー。

そんな失意の日々から、それでも立ち直るきっかけはやってくる。
息子と時代を共にした神奈川高校球児、そして大学の同期生とその前後。
神奈川高校球児はとにかく、大学国公立じゃなくて良かったな。臙脂のW野球強いもんな。

プロに行ってる選手が何人もいる。
そうよ(*´∀`*)息子の代わりを探そう。

息子大学を卒業する。の頃より、わたしの代理息子探しが始まった。




予備校の日々

2006年4月、息子は予備校生となり日々横浜にある予備校に通った。

わたし急にやることがなくなった(><)と、思いきやとんでもないやることがこの時期はあった。
家の建て直し。

息子が受かった大学に行く。
と、宣言して浪人するのは想定外だったので話を進めてしまっていた。

それなので、一時的に高校により近い場所に転居し、家の建て替えという大仕事に従事はしたが、信じられないくらい息子のこととの関わりはなくなった。

予備校にわたしが講義見学や、施設見物に行く訳もなく、お弁当作りもしなくなった。

息子は毎日関心に予備校に通う。
私服を買いに行くこともあったが当然わたしなんかと同伴しない。

いくら家問題に関心が行っているとはいえ、野球ロスには苦しめられて本当に急にやることがなくなった感じ。

だが、この頃はうちには犬がいた。
この犬については犬物語に述べられているが、犬の散歩は高校に行ったヽ(´ー`)ノ イッチャッタ

そう、犬の散歩にかこつけて懐かしい横浜緑ヶ丘高校のあるときは周りをぐるっと回り、あるときは犬を連れて門の中に入り込んだ。

予備校には部活ないもんな。

来年はどうなっているのか?
大学生になれるのか?

どこかしら受かるだろうが野球部には入るのだろうか?
大学の部活こそ親が面倒みるのだろうか?

それでも季節は巡り夏になる。

また夏の大会が始まる。
わたし、ちゃんと開会式に行きましたよ。ハマスタの近くに住んでて良かった。

息子たちは大学生も予備校生も1番若いOBとして、そしてわたしたちは去年の球児ママとして、夏の大会応援に行きました。

7月12日、場所は秦野球場対戦相手は厚木北高校。
勝ちました。

勝ちましたけど、、。
もう息子は現役じゃない。

ということは、わたしたちも世話をするわけじゃない。

実はこのあと、大学受験は呆気ない結末迎え、わたしは息子の高校野球から派生した生きがいを見つけるのですが、2006年野球ロスと空の巣症候群に苦しめられた幕開けであった。





運動会

わたしは息子の運動会は保育園は言うに及ばす、小学校から高校3年まで欠かさず見に行っている。

とうとう夏が終わり、息子高校球児を引退し自動的にわたしも球児ママを引退した秋の運動会も見物に行った。

うちの子はとにかく運動会が好きで保育園児だった頃から保育園の運動会だけじゃ飽き足らず、保育園児でも参加させてもらえる町内会や小学校の運動会は必ず参加した。

もっと出ると言って泣いて困った。

子供というのは運動会が好きなものだ。
と、勝手に解釈したこともあるけれど、そんな訳はないだろう。

もっとも運動会も徐々に進歩する。
小学校のように教師が引率して全校児童がダンスや徒競走、競技を披露するのとは中学、高校と年齢が加算されるの連れ変貌する。

息子の自慢は小1から高3までずっとリレーの選手を務めたこと。
だが、児童の走行タイムを計測して選手選抜をする小学校とはだんだん趣が異なってくる。

とりわけ高校はタイム測定して速い子が選ばれるわけじゃなく、本人の志願だと、、。
運動会大好き少年の息子、当然高校1年からリレーの選手を志願していた。

球児を引退した後の3年生でもだ。

高校の運動会、運動会が行なわれているグラウンドの模様はどこ吹く風。
知らぬ顔して日陰で本読んでる生徒もいれば、グラウンドの向こう側でテニスしている生徒もいる。

もちろん、うちの息子は張り切って運動会の中心選手となっている。

わたし、この2年半ですっかり仲良くなったママ友たちと3年運動会は見物。
保護者席はちゃんと設けられている。

だが、息子たち張り切りはするものの、もー足が出てないじゃないか?
あの夏の輝きはどこへ行ったのだ!

それも仕方ないか、、(;_;)息子は引退後、流石の受験マニア指定校推薦は逃したものだから受験勉強に関心に専念している。
私服も買ってやった。

普通、引退するとサイズが変わる。
というのは太る。を意味していると思われるが、息子驚異的な痩せ体質。
引退して痩せた。

だが、日々汗まみれになって練習していた日は遠い。
先生に3ヶ月でこれだけ動けなくなるものでしょうか?
と、質問したら。
動けなくなるものだ。ということ。

夏の輝きは遠く、高校球児だった日々は2度と戻ってこない。

で、大学というのは運動会があるのだろうか?
総合大学ならばきっとあるのだろうが、親が見に行くものなのか?

野球部はどうなのか?
大学の野球部って、親が面倒を見るのだろうか?

息子、球児引退で急にやることがなくなり、野球ロスとなり空の巣症候群に悩まされる。

あの日に戻りたい・゜・(ノД`)・゜・