就職 息子が家を去った日

2016年5月、とうとう息子が家を去った。
家出したわけではない。
5年遅れの就職をしたのだ。

卒業して5年、正確には4年半おたくの息子何してたのさ?
ニートしてたワケではありません。
塾講師しながら芸能活動していたのです。

野球ロスだの空の巣症候群だのと言っても息子は家にいて、務めた舞台観に行って高校球児の頃とはまた違った楽しい日々ではあったのです。

最初の舞台での役が付いた時はやったね(*≧∀≦*)
で、わたしも小さな劇場に張り切って観劇に行きました。

夜遅くまでの稽古のあと、役者のお友達が家に泊まりに来たこともありました。
それがまた、途轍もなく過酷な舞台でよくもまあ役者の皆さんからだが持つものだ。

と、感心さえして、だが、いくら過酷な舞台に出演しても幾らかのギャラになっても、稽古の期間はバイトを休む。
プロダクションからは契約打ち切られた、、、。



このままでいいのか、、?
中学卒業した時点では、わたし野球より芸能のレッスン受けるように唆していたので。
「いい加減芸能活動は諦めてフツーに職探しをせよ。」
とは、言いませんでした。

とはいえ、すでにステージママの必要な年齢でもなくなっていた。
またまた、夜、俳優のお友達がやってきて稽古をしてました。

ちょうど隣の家が空家になって頃だった。
どこにも迷惑はかからなかったであろう。良かったヽ(;▽;)ノ

そのような日々が続き、わたしは暇があればプロ野球の追っかけをしつつ、この頃からそうそうわたしが遊んでもいられなくなったので音楽教室の仕事にも精を出しでいた。
なんとか芸能活動でやっていけないものか?

だが、わたしだって演奏活動ではやっていけずに大抵のコンサートは息子の舞台ほどのギャラも出ず、、。(引退したわよ。)
でも、舞台は麻薬だからって。

それはわたしもよくわかる。

そのようなある日、新卒採用での年齢がギリだがエントリーしてみる。
ことになり、筆記試験やら面接や通算10回くらいも採用試験はあり、次は重役面接なので最後だから。

と、家をあとにした息子。
「内定した。」と電話。

待てよ。本当か?で、就職するのか「就職する。」
やっぱり、ホッとした。
そうよ。不安定な職業はわたしひとりでいいよ。

2016年息子引退。いえ、最近は卒業というそうだ。
2月に引退公演して、その年4月オールドルーキーとして入社式に臨みました。
その時の入社で昭和生まれはふたりだけ。

息子は新聞記者となって、5月に赴任地の茨城へと旅立って行った。