2005年春の大会へ

3月になれば練習試合の解禁そして春の大会が始まる。

この息子レギュラーとなった公式戦であるのに、不思議と記憶は薄い。

確かに霧が丘高校で予選を戦ったのだが、、。

よーく、覚えているのは寒かったこと。

冬中このような使い捨てカイロを何度買い求めたか。

そして、春の訪れとともにこのようなモノは不要となるかというかというと、ならない。
相変わらず、寒い{{ (>_<) }}そうですよね。 野球外でやりますから、花冷えというくらいで4月に入っても寒い日は寒いです。

息子冬中使ってた軍手、なんで普通の手袋にしなかったんだろう?

このようにお洒落なものもあるというのに。

わたしはノルディック模様が好き。

とにかく、防寒対策は必要でした。これくらいの寒さでは低体温症になるはずないのは分かっていても低体温症になるんじゃないか?心配になるくらい寒い予選会だった。

あまり記憶に残っていないのは多分息子あんまり良い出来ではなかったのかもしれない。
これはわたしの特技で、わたしは演奏活動していたその頃から喝采の瞬間はしつこく覚えていても、悪かった演奏は終わった途端に忘れられるのです。

反省しないといえば、悪い点ですが、立ち直りが早いと思えば一種の才能です。

今現在、息子は新聞記者になって家にはいません。
赴任地にいるので今度帰省してきた時に当時の状況を聞いてみます。

でもクーラーボックス運びもしたし、わたし個人の差し入れもしました。

このようなキャンディ、差し入れいたしました。

2003年からこれで3度目の桜の季節、もうこれが横浜緑ヶ丘高校最後の桜の季節。
来年の桜の季節には大学生になれるのか?☆.。.*・゚☆サクラサク☆゚・*.。.☆

なんだか大学受験より何より、お洒落もしないで野球ばかり頑張っているような気もする。

だが、まぁいい。
塾にも一応通っているし、衛星予備校お世話になりました。

定時定刻に通わなければならないのではない塾だからこそ運動部でも続けられた。

とりあえず受験はどうにかなるさ。きっと。
それより、高校球児時代はあといよいよ何ヶ月か。
勉強は学校と衛星予備校に任せて、夏こそ輝く横浜緑ヶ丘高校の星となるのだ☆彡

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グローブだってオーダーしたんだし、残り少ない息子高校球児時代を思い切り楽しむのだ!(わたしが)

受験のことは夏の終わりに考えよう。

もうすぐ二年生

横浜港の汽笛とともに開けた2004年、年明けとともにまだまだ冬は続くがそれでも春が近づいた気分になる。
2月になれば、練習試合解禁ももうすぐ。

春の大会はどうかな?

1年2年のつなぎ時期の春の大会には残念まだ、力不足。
ベンチには入れなかった。

春の大会の予選は会場となる高校のグラウンドで行う。

そして春とはいえ寒い{{ (>_<) }} 使い捨てカイロと防寒着は必要となる。 更に、夏の大会のように一人前のスタジアムで行うわけではないので会場で何かしら売ってるわけではない。 当たり前だが、売り子が「温かいお茶いかがですか~。」と、やってきてはくれない。 模擬店でうどんを売っているわけもない。 探せばそのへんに自販機くらい、さらに店のひとつやふたつ学校周辺にあるだろうが準備は怠りなくしたほうが良い。 ちょっとやそっと(大雨が降れば雨天順延になるけど)の雨じゃ試合する。 だからといって体育館に移動して試合はしない。 グラウンドで試合する。 春の大会よくよく気温上昇のサインが気象庁から出ていない限り寒さ対策は必至。

息子たちはこのような中着を着て練習及び試合をする。
観戦する方だってこのような中着は着た方が良い。

いつぞやは3月の試合でわたしは低体温症になったんじゃないか?
ってくらい震えて、1週間くらい寒気が収まらないことがあった。

完璧春の試合の寒さ対策の失敗。
ヒートテック下着、カイロ、大きめのマフラー、ホット缶コーヒーが必要であった。

真冬用のブーツ、アメリカ製完全防寒ジャケットだけ出かけたのが甘かった。
春の大会の寒さを舐めてはいけない。

ついでに腰が冷えるので携帯用クッション↓を使う。

それとひざ掛け。

わたしはこんな感じのひざ掛けを愛用。↑

そして、春の兆しが来る頃には息子はこのように入学時にはピカピカで背中と胸に名前を書いて着ていた練習着も、わたしの懸命な洗濯活動にも関わらず、全体にベージュからうす茶色に移行し毛羽立ちくたびれてきたのです。