お礼参り

夏は終わった。
普通はこれからが夏本番だけれど、7月23日をもって横浜緑ヶ丘高校硬式野球部58期生の夏は終わったのです。

息子たちはもう早速、受験モード。

この8月は野球部の合宿ももう無い。
高校球児生活から永遠の別れを告げたのです。

県立進学校ながらもベスト16まで勝ち抜いた息子たちは立派だった。

あと5人くらい男の子生んでおけば良かった(><)

わたしは日々の泥まみれの練習着やユニホームの山の洗濯から解放され、もう体重を増やす必要もなくなった。
そして、これから土曜日曜祭日、わたし何して過ごせばいいの?

まずは2年半近く、ほとんど着なかった私服を少し買ってやろう。
少し、なのは高校卒業すれば私服で過ごすのが普通なのでたくさん買ってやりたいのだが、引退するとサイズが変わる。

したがって、サイズが変わるのを見極めてから本気になって私服を買ったほうがいい。
そして、髪を伸ばした。

うちの息子は色が白いほうではないながらもターンオーバー過ぎるとふた色くらいは白くなった。

地が色の白い子はターンオーバーで抜けるような色白になってしまって、、。
若いっていいな(^_^;)

わたしはもとの地色に戻すには時間かかりそうだなー(・。・)

もっともケアのおかげで、日焼けはしたもののシミしわは避けられました。

夏の終わりにわたしたち球児ママの最後の仕事はお礼参り。
再度、鶴岡八幡宮に詣でておかげさまで第5戦まで勝ち進めました。
の報告をいたします。

既に受験勉強を始めている息子たち、次のステージは大学受験。
中にはほとんど、指定校推薦の条件満たしている子は推薦で大学進学できるが、、(野球部にも指定校推薦で大学進学した生徒はおりました。)

息子、見事に指定校推薦は逃しています。
そして、あの人受験マニアだったんだ。

また、受験の日々が始まる、、。

そのように、息子たちは受験に向けて勉強に没頭、今まで勉強しなかった分を取り戻しておりました。

なので、お礼参りはわたしたち球児ママたちの仕事。
鶴岡八幡宮で勝ち進めたお礼をして、みんなでお食事に参ります。

ママ友って普通、子供が小さい頃同じくらいの年頃の子供の母親友達の意味だけれど、球児ママ友は不思議不思議、子供高校生、それも雲つくような大男多数。

なのです。
それくらいみんな親しくなるのです。

楽しかった2年半語り合います。

中には下の子が引き続き高校球児というママもいて、いいな~。
本当にわたし、あと何人か男の子生んどけば良かった。

今からじゃ遅いか?
多分遅いだろうなε=(・д・`*)ハァ…

これから立派な空の巣症候群の日々が始まる。
あるいは野球ロスとも言う。





夏の終わり 7月23日

7月23日土曜日平塚球場第2試合。対戦相手は相模田奈高校。
これを勝って、ベスト8に進めるか?!

いや、勝つんだ勝ってベスト8より高み目指すんだ。甲子園を目指せ。
試合間隔が詰まってくる。

今日勝てば次の試合は24日つまり次の日。

第2試合なのでそんなに早く出発しなくてもすむけれど、横浜スタジアムに比べて平塚球場は圧倒的に遠い。

カーナビが必要だ。

例によって応援必需品を車に詰め込むも、回を追うごとに応援グッズは増えた。
今日入れてあと4つで甲子園(*´∀`*)

疲れたなんて言ってられるか、今日の対戦相手は県立高校きっと勝つ。

平塚球場に到着、ここで問題発生。
第1試合が定刻通りに終わらない。

このようなことは往々にしてあることなので、仕方がないのだが待つ身としては辛い。
わたしたちは長引いている第1試合、様子を見にスタジアムに入りました。

第1試合は日大高校対日大藤沢高校。
日大藤沢はうちは併願私立で受けに行ったな。
ここの生徒になっていた可能性だってあったのだ。

日大高校も学校見学には行った。以前は男子校だった。
双方日大系列なので平塚球場あたり一面桜色。

その中に緑のシャツのわたしたちは目立つといえば目立つ。
日大高校が勝ってはいたが、9回裏の日大藤沢の反撃。

アララ、延長戦になるのかしら。
明日はここの勝者との対戦、第1試合。

洗濯とご飯の支度が待っている(勝つ気満々でいる。)
延長戦になりませんように!って、他人事だからってね。

延長戦にはならず、この日の第1試合日大高校の勝ち。明日勝ち進めば対戦相手は日大高校。

だが、待て日大藤沢には中学からのお友達の選手がいる。
日大藤沢夏が終わったか(;_;)

だが、結果から言うと夏が終わったのは日大藤沢だけでなく、横浜緑ヶ丘高校58期生の夏も終わりました。
息子たち相模田奈高校のピッチャーをどうしても打ち崩せないまま、5対1で負けました。

もうこれで、明日の試合のための洗濯の心配は永遠にしなくてすむ・゜・(ノД`)・゜・

高校球児最後の日
2005年7月23日、息子高校球児最後の日。そしてわたし、球児ママ最後の日。

わたしたちの千羽鶴は相模田奈高校の主将に渡し、健闘をたたえました。

楽しかった2年4ヶ月。

この日、地震があって電車は止まり息子たちは大変な思いして帰ってきました。

わたしは東名高速使ってなんということはなく帰ってきました。

息子たち第5試合まできたのは偉い。

この日の前の試合、日大も日大藤沢もプロに行った選手がいるようなチームなのだから。
強豪犇めく神奈川で県立高校でよくここまで戦った。

でも、これから予定鶴岡八幡宮にお礼参りに行く以外、わたし何をして過ごせばいいの?

大和引地台球場

さて、大和引地台球場って、どうやって行くんだ?
2年生の夏、まだこの頃はママ友たちとチームを組まないで単独行動していた。

相鉄線大和で降りる。まぁ、なんとかなるであろう。

2004年7月12日。
スタジアムが近づくにつれてのワクワク感。

息子高校生になってはじめての公式戦。
勝ってくれ、勝つんだ!そして、なにより試合に出てくれ!

だが、どうもこの対戦カード相手校の藤嶺藤沢高校強いらしい、、。

2004年、前年の涼しい夏の2003年のぶんを取り戻すかの如く、暑い夏となった。
相鉄大和駅からトコトコ歩いて約15分、吹奏楽のクラブやチアのクラブも来ていて、何だか本当に、、。

高校野球している。
よくぞここまで成長してくれた!
思えば長いような短いような16年。

うちの息子は8月生まれなので、正確には16年11ヶ月。

選手一人づつ、ちゃんとテーマ曲があってうちはさくらんぼ。

だが、この日の試合4対1で藤嶺藤沢高校の勝ち。
横浜緑ヶ丘高校の夏は終わりました。

そして、息子も背番号15をもらいながらも出番ナシ。
ううううっ、か悲しい、、。

2004年、7月12日。夏の終わりに大和引地台球場引き上げようとした。
その時。

スタジアムに来ていた同学年のママ友。

これでわたしたちが最上級生、父母会の活動の中心となる。
キャプテンの親が(うちの息子はキャプテンになる心配はない。)例年、父母会の会長なり会合の場を設けるので、では早速、、。

ええっ、そっか!

夏の終わりは新体制の発足、息子よ来年の夏こそは試合に出てくれ、そして活躍するのだ!

わたし頑張るわ\(*⌒0⌒)♪

2003年春、高校硬式野球部入部について少なからず文句言ってたわたし。
2004年夏には丸ごと、高校野球にハマッていたのであった。

夏場の球児ママに是非とも必要なのは容赦ないスタジアムの紫外線対策。

このような日焼け止めは是非とも必要。
ですが、真夏の太陽光線は日焼け止めだけでは防ぎきれるものではありません。

だが、日焼け対策を怠れば後々、どのような大惨事に見舞われるかは火を見るより明らか。
夏のスタジアムは気温40°以上にもなるので当然盛大に汗をかくので汗に強いタイプの日焼け止めがお薦め。

それに加え

このようなお洒落なバスタオルをブルカの如く、頭から被ってしまう。

それでも、日焼けはします。
もう、これは宿命ですが何もしないで劣化、酸化させておくテはありません。
現在使っているのは

この基礎化粧品、息子社会人となってしまった今でも野球それもデーゲーム観戦は好きなので日焼け止めに加えて中年の肌にあうスキンケアは欠かさずしております。