SPの旅立ちから1年
SPが旅立ってしまってからもう、1年が経過した。SPの眠る日本ペットセレモからSPの一周忌のお知らせがきた。( `・ω・) ウーム…ここの犬猫葬儀社は商売熱心だ。
お知らせなんてこなくってたって、忘れてなんかいませんよ。今日は3月31日、明日4月1日がSPの一周忌、明日はお墓参りに行きますよ。
SP眠る墓所は福浦、ちゃちこたちの山の中の墓所とは違って海辺です。
個別法要日は16日で法要料は20000円、これまた高価だな、、。
16日は土曜日だ。わたしは行くことが出来ない。上に20000円は払いきれない。SP許せ!
幸せだった日々
このところ、コロナ騒動が一段落した感じで一時壊滅状態だったわたしの音楽教室が息を吹き返した。生産性が上がったのは助かるが、忙しさのあまり疲れ気味だった。
だが、それも慣れた若い頃はヤマハ音楽教室に100人もの生徒を持たされたのだ。だいたい30人規模の教室くらい慣れてしまえば、墓参りやブログの更新、ピアノやその他の勉強くらいはやっていける。
だが、パフォーマンスは今ひとつ今二つ、向上しない。
そう、まずはカールが去り、ちゃちこが去った。そして、プクの家出、次にSPが去っていった。更に、ここ何年かうちにいた息子まで函館に行ってしまった。
いやいや、なくしたものより今あるものに思いを馳せるのだ。ってのは分かっていても、あの頃の幸せを思わざるおえない。
ピントが合ってないが、古いデジカメ画像を引っ掻き回してやっと見つけた絵。この頃はみんないた。わたしが保育園のアルバイトから帰ってくると、うちのプクもその頃やっとうちの猫になってくれたカールも、そしてSPがこの小道から出迎えてくれた。
そしてこの頃は、のっぺラボーの舗装道路ではなく(舗装はしてあったけど)この草の萌える崖は一面ユキノシタに覆われていて、崖の上には小さな赤い屋根の家が一軒、桃の木、紅葉、竜舌蘭が茂っていた。初夏のころ一面蛍袋が咲いていた。
SP眠るこんな門柱があって、門柱側の家はどこも夏になると茗荷が生育していた。
ああ、懐かしい昔みんないた。
今はみんないなくて、この小道は一人前の道路に変貌した。(影の声、地主メ許さん(╬゚◥益◤゚))
わたしは保育園の窓から出かける息子に手を振って、保育園の2階の窓からはシンボルツリーのトウヒの木が夕日に萌えていた。
あのトウヒも持ち主がしんじまったらしく、切り倒されて今その地所は開発中だ。
わたしが愛した風景は失われ、家族も仲間もいなくなっていった。
幸せだった(o>ω<o)
それでもSPはいる
それでもSPはいる。
その袂によく佇んでいた桜の大木は健在で今年も見事な花を咲かせている。
あの木の根元にSPはいる。乾いた盲学校のグラウンドにコロコロするSPがいる。
アパートの階段にSPがいる。未だたくさんの花を咲かせる蛍袋の小道にSPがいる。
あの銀杏色の瞳でわたしを見つめて、にょーんという鳴き声で屋根から降りてくるSP
がいる。
SP虹の橋のふもとで待ってくれ、ちゃちこやカール、クロメ母さんにクロオおじさんも一緒に。
きっと、行くから、、。
なんだかわたし、あんまり長くないような気がしてきた゚(T_T))。