猫の墓参り、あるいは最近の猫事情

猫のお墓事情、うちの場合

うちの旅立ち猫はSP以前は全員横浜霊園に眠っている。横浜霊園を特に選んだわけでない。そもそもうちで最初に旅立った猫。チャコが長年お世話になった動物病院で紹介された。猫葬儀を扱うおじさんが、横浜霊園に葬ってくれたのだ。

うちが大好きだった。かわいいチャコ、入院した動物病院でも人気者だった。

それ以降、猫、犬ともども旅立ちには横浜霊園に葬ってもらった。

だが、月日は流れ一昨年、SPの旅立ちという悲劇に見舞われしとき、なんと、猫葬儀のおじいさん廃業しちまったのだ🙀

仕方あるまい。うちは庭にペットセメタリーを作る余裕なんぞない。

そのような時、どうしたらいいか?答えは簡単、動物病院に猫葬儀社のありかを訪ねる。

そのようにして、猫葬儀社について動物病院にききこんだところ、すぐに猫葬儀について確かめることが出来ました。

それも、今度は個人事業の葬儀社ではなくて会社組織のところ、日本ペットセレモ。

かくして、SPの葬儀は滞りなく行われ、4月1日は合同供養祭すら行われた。今年は4月1日土曜日で、わたしは土曜日曜は仕事が詰まっているので、出かけること出来なかったが塔婆はあげさせてもらった。

SPとプク。黒猫プクはまだ帰って来ない😿💧

ですが、4月の10日SPのお墓詣りには行ってきました。

シーサイドラインで市大医学部駅で下車、昼時だったので市大病院カフェ、蕎麦屋、お弁当屋で賑わっておりました。

そうか、、だが、わたしの行く手は病院ではない。

途中八重桜が見事に咲いていたので、写真を撮影。

スマホの位置情報には、中央水産研究所横浜庁舎だそうです。そうか、そうだったのか、SPのお墓に近くにはそのような研究機関があったのだな。

SPのお墓の2階からは海が見える。小さい塔婆も立ててSPの眠り安らかなることを祈り、虹の橋の袂で待っていてくれることを願って帰って来た。

最近の猫事情

このところ、近所の猫おばさんと力を合わせて、猫ボランティア頼み、地域猫の避妊手術に精出したため地域猫つまりは野良猫がめっきり少なくなった。つーか、ほとんどいない。

強いていれば、ドラオがそれに含まれるかもしれないが、ドラオはメール便おじさんの猫じゃないのか?

最近はドラオは夜にしか現れない。

2022年9月25日朝8時、これが一番のドラオの近影。この頃は日の高い時間でもドラオはうちに来たのだ。

最近は夜しかやって来ないのでうまく撮影出来ないのだ。次は、ちゃんとスマホで狙いつけてドラオ写真を撮影しよう。

だが!それでも猫は落ちている。近所には拾われた、いえいえ保護された猫が数匹。

まずは2匹のニューフェイス、双方三毛子(本当の名は知らない。)

こちらのニューフェイス三毛さん飼い猫なのでそうそうは遭遇しない。

こちらもニューフェイス三毛さん。

残念、三毛さんたちは最早人の猫であるのでうちでもらうわけにはいかない。せいぜい巡回時に遭遇を楽しみにしよう。

そして、最近よく遭遇するグレーの長毛さん。

なんともゴージャスな猫さんです。

この間は、なんとまぁ、プクと思しき猫とドラオが喧嘩していた🙀

プクが帰ってくる日も近い(=^・^=)

あれから1年

SPの旅立ちから1年

SPが旅立ってしまってからもう、1年が経過した。SPの眠る日本ペットセレモからSPの一周忌のお知らせがきた。( `・ω・) ウーム…ここの犬猫葬儀社は商売熱心だ。

お知らせなんてこなくってたって、忘れてなんかいませんよ。今日は3月31日、明日4月1日がSPの一周忌、明日はお墓参りに行きますよ。

SP眠る墓所は福浦、ちゃちこたちの山の中の墓所とは違って海辺です。

個別法要日は16日で法要料は20000円、これまた高価だな、、。

16日は土曜日だ。わたしは行くことが出来ない。上に20000円は払いきれない。SP許せ!

幸せだった日々

このところ、コロナ騒動が一段落した感じで一時壊滅状態だったわたしの音楽教室が息を吹き返した。生産性が上がったのは助かるが、忙しさのあまり疲れ気味だった。

だが、それも慣れた若い頃はヤマハ音楽教室に100人もの生徒を持たされたのだ。だいたい30人規模の教室くらい慣れてしまえば、墓参りやブログの更新、ピアノやその他の勉強くらいはやっていける。

だが、パフォーマンスは今ひとつ今二つ、向上しない。

そう、まずはカールが去り、ちゃちこが去った。そして、プクの家出、次にSPが去っていった。更に、ここ何年かうちにいた息子まで函館に行ってしまった。

いやいや、なくしたものより今あるものに思いを馳せるのだ。ってのは分かっていても、あの頃の幸せを思わざるおえない。

ピントが合ってないが、古いデジカメ画像を引っ掻き回してやっと見つけた絵。この頃はみんないた。わたしが保育園のアルバイトから帰ってくると、うちのプクもその頃やっとうちの猫になってくれたカールも、そしてSPがこの小道から出迎えてくれた。

そしてこの頃は、のっぺラボーの舗装道路ではなく(舗装はしてあったけど)この草の萌える崖は一面ユキノシタに覆われていて、崖の上には小さな赤い屋根の家が一軒、桃の木、紅葉、竜舌蘭が茂っていた。初夏のころ一面蛍袋が咲いていた。

SP眠るこんな門柱があって、門柱側の家はどこも夏になると茗荷が生育していた。

ああ、懐かしい昔みんないた。

今はみんないなくて、この小道は一人前の道路に変貌した。(影の声、地主メ許さん(╬゚◥益◤゚))

わたしは保育園の窓から出かける息子に手を振って、保育園の2階の窓からはシンボルツリーのトウヒの木が夕日に萌えていた。

あのトウヒも持ち主がしんじまったらしく、切り倒されて今その地所は開発中だ。

わたしが愛した風景は失われ、家族も仲間もいなくなっていった。

幸せだった(o>ω<o)

それでもSPはいる

それでもSPはいる。

その袂によく佇んでいた桜の大木は健在で今年も見事な花を咲かせている。

あの木の根元にSPはいる。乾いた盲学校のグラウンドにコロコロするSPがいる。

アパートの階段にSPがいる。未だたくさんの花を咲かせる蛍袋の小道にSPがいる。

あの銀杏色の瞳でわたしを見つめて、にょーんという鳴き声で屋根から降りてくるSP

がいる。

SP虹の橋のふもとで待ってくれ、ちゃちこやカール、クロメ母さんにクロオおじさんも一緒に。

きっと、行くから、、。

なんだかわたし、あんまり長くないような気がしてきた゚(T_T))。