あれから2年

とうとうあれから2年経った。
今から2年前、息子の就職が内定した。

内定が決定したとき、わたしは「おめでとうヽ(*´∀`)ノやったねv(=^0^=)v」
ではなく、、。
「それでどうするの?」
と、聞いてしまった。

で、就職するそうで、、はぁあ(゚Д゚≡゚Д゚)?良かった助かった。
5年間の芸能活動。
舞台を見に行ったりするのはそれは楽しかったけれど、、。

わたしだって、演劇活動している人というのはいくらでも知り合いにいた。(過去形今はほとんどいない。)
そしてその方たちなんと、勘当されている者が多かったこと。
今時、カンドーなんてものあるのかよ?
戦前のような公的勘当?!ではなくて私的勘当とでもいうのだろうが。

若きころのわたしは、カンドーだなんて酷いじゃない!なんで暖かく見守ってやれないのかしら?
と、そのように甘く考えていたものです。

だが、それが我が身に降りかかってくると、如何にその考えが甘かったかがよくわかる。
第一に、芸能活動というものはよほど売れている人じゃなきゃ、儲からない。

儲からないだけならいい。
生活が成り立つほど、芸能では稼げない。
なので非正規雇用してもらって、そっちで日々のかかりを稼ぐ。
ついでにレッスン代その他もかかる。

次、舞台での役が付けば嬉しいけど稽古の間、非正規雇用のシノギは休まなければならない。
いくらか出演料稼げてもバイト休んだ分の損失のほうが大きい。

社会的立場は、俳優やミュージシャンではなくアルバイトと言ったほうが通る。




そこから起こる第二の事象は、「もーヽ(`Д´)ノめんどー見切れないからうちから出て行ってくれ。」
つまり勘当となる。
それでも懲りないヤツはいっこうに懲りない。

舞台は麻薬だからだ。
それはわたしもよくわかる。

わたしも最初の頃こそ懸命に応援してやろう。の気合はあったけれど、、。
だんだん息が切れてきた。

息が切れてこれ以上はうちにいるからにはいくらか入れてくれ、それが出来ないならばカンドーするからな!!
のモードになってきてしまったのだ。

わたしがそのモードになった頃、息子もこのまま売れる日を夢見つついいおっさんになった後でもアルバイトの身分でいるのは本意ではない。
と、感ずるようになったらしい。

そうよ。芸能、舞台が好きで堪らなくても超現実的でせこいのはわたしからの垂直遺伝であるに違いない。

ともあれ、芸能を生業にする夢は潰え、しまいには息が切れたもののなかなか面白い5年間ではあった。

息子が就職し家を出てしまって、更に言えば完璧に経済的にも生活的にも自立してしまって全く手がかからない(いないんだから当たり前だけど)。
なので、今度はわたしが演奏活動してやろうかと企てている。

わたしの場合息子と暮らしたの日々は28年間、28年でその日は終焉を迎えた。





2016年夏の甲子園

2016年5月車とともに息子は家からさった。

息子曰く、車通勤及び地方なので取材に車は使う。
車買う費用は会社が貸してくれるが、どうしようか、、?

うちの車を持って行くんだ。うちはなんとか車なしで生活するから。
「県外に出るわけにはいかないから2年は帰って来ない。」

そのように言い残して去って行ったが、その割にはたまには帰省した。

ただ、うちの車持って行ってくれたはいいが、息子名義に書き換えなければ車両手当?!が出ない。
書き換えは行えばいいが、、、。

そうだ!社会人になったのに実印作ってやるの忘れた。
どうしようか?
実印は息子自前で作ったと。
はぁ、、、もう完全にわたしの手から離れた。

そして、負傷して帰ってきたあの草野球最後に今度こそ本当に野球からは卒業だな(-_-;)さみしぃ。




そのように、息子、家から離れ野球も卒業し(次、野球の選手となるのはジイさん草野球の選手となる時であろう。)息子なき日々に慣れた夏。

息子夏の甲子園大会に行くことが決定したと。
もちろん選手ではない(当たり前だ。)取材に行くのだ。
やったじゃないかv(=^0^=)v

夏の甲子園大会今年はどんなドラマが繰り広げられるのか?
楽しみじゃないか!
と、言ったら遊びに行くんじゃないんだと(^_^;)

春の高校野球の茨城県大会には取材に行ったので、その様子も聞いたが記者席にずっといるわけではなくてスタンドで取材をしているそうだ。
春はとにかく、夏の甲子園は暑いだろう(~Q~;)大丈夫か?

大丈夫だわ。いささかヤキが回ってきているとはいえ元高校球児どれだけ真夏の太陽のもと練習して試合してきたか!

わたしもよく付き合ってきたものだわ。
NHKのプレスが行き交う中にうちの息子もチラと映っていた。

辛いだろうが頑張るのだよ。
と、メール送ったら、なかなかどうして暑かったけど楽しかったそうだ。

そっか、また甲子園に取材に行けるといいね(・∀・)イイネ!!




就職 息子が家を去った日

2016年5月、とうとう息子が家を去った。
家出したわけではない。
5年遅れの就職をしたのだ。

卒業して5年、正確には4年半おたくの息子何してたのさ?
ニートしてたワケではありません。
塾講師しながら芸能活動していたのです。

野球ロスだの空の巣症候群だのと言っても息子は家にいて、務めた舞台観に行って高校球児の頃とはまた違った楽しい日々ではあったのです。

最初の舞台での役が付いた時はやったね(*≧∀≦*)
で、わたしも小さな劇場に張り切って観劇に行きました。

夜遅くまでの稽古のあと、役者のお友達が家に泊まりに来たこともありました。
それがまた、途轍もなく過酷な舞台でよくもまあ役者の皆さんからだが持つものだ。

と、感心さえして、だが、いくら過酷な舞台に出演しても幾らかのギャラになっても、稽古の期間はバイトを休む。
プロダクションからは契約打ち切られた、、、。



このままでいいのか、、?
中学卒業した時点では、わたし野球より芸能のレッスン受けるように唆していたので。
「いい加減芸能活動は諦めてフツーに職探しをせよ。」
とは、言いませんでした。

とはいえ、すでにステージママの必要な年齢でもなくなっていた。
またまた、夜、俳優のお友達がやってきて稽古をしてました。

ちょうど隣の家が空家になって頃だった。
どこにも迷惑はかからなかったであろう。良かったヽ(;▽;)ノ

そのような日々が続き、わたしは暇があればプロ野球の追っかけをしつつ、この頃からそうそうわたしが遊んでもいられなくなったので音楽教室の仕事にも精を出しでいた。
なんとか芸能活動でやっていけないものか?

だが、わたしだって演奏活動ではやっていけずに大抵のコンサートは息子の舞台ほどのギャラも出ず、、。(引退したわよ。)
でも、舞台は麻薬だからって。

それはわたしもよくわかる。

そのようなある日、新卒採用での年齢がギリだがエントリーしてみる。
ことになり、筆記試験やら面接や通算10回くらいも採用試験はあり、次は重役面接なので最後だから。

と、家をあとにした息子。
「内定した。」と電話。

待てよ。本当か?で、就職するのか「就職する。」
やっぱり、ホッとした。
そうよ。不安定な職業はわたしひとりでいいよ。

2016年息子引退。いえ、最近は卒業というそうだ。
2月に引退公演して、その年4月オールドルーキーとして入社式に臨みました。
その時の入社で昭和生まれはふたりだけ。

息子は新聞記者となって、5月に赴任地の茨城へと旅立って行った。