もうすぐ二年生

横浜港の汽笛とともに開けた2004年、年明けとともにまだまだ冬は続くがそれでも春が近づいた気分になる。
2月になれば、練習試合解禁ももうすぐ。

春の大会はどうかな?

1年2年のつなぎ時期の春の大会には残念まだ、力不足。
ベンチには入れなかった。

春の大会の予選は会場となる高校のグラウンドで行う。

そして春とはいえ寒い{{ (>_<) }} 使い捨てカイロと防寒着は必要となる。 更に、夏の大会のように一人前のスタジアムで行うわけではないので会場で何かしら売ってるわけではない。 当たり前だが、売り子が「温かいお茶いかがですか~。」と、やってきてはくれない。 模擬店でうどんを売っているわけもない。 探せばそのへんに自販機くらい、さらに店のひとつやふたつ学校周辺にあるだろうが準備は怠りなくしたほうが良い。 ちょっとやそっと(大雨が降れば雨天順延になるけど)の雨じゃ試合する。 だからといって体育館に移動して試合はしない。 グラウンドで試合する。 春の大会よくよく気温上昇のサインが気象庁から出ていない限り寒さ対策は必至。

息子たちはこのような中着を着て練習及び試合をする。
観戦する方だってこのような中着は着た方が良い。

いつぞやは3月の試合でわたしは低体温症になったんじゃないか?
ってくらい震えて、1週間くらい寒気が収まらないことがあった。

完璧春の試合の寒さ対策の失敗。
ヒートテック下着、カイロ、大きめのマフラー、ホット缶コーヒーが必要であった。

真冬用のブーツ、アメリカ製完全防寒ジャケットだけ出かけたのが甘かった。
春の大会の寒さを舐めてはいけない。

ついでに腰が冷えるので携帯用クッション↓を使う。

それとひざ掛け。

わたしはこんな感じのひざ掛けを愛用。↑

そして、春の兆しが来る頃には息子はこのように入学時にはピカピカで背中と胸に名前を書いて着ていた練習着も、わたしの懸命な洗濯活動にも関わらず、全体にベージュからうす茶色に移行し毛羽立ちくたびれてきたのです。

年明け

2004年、横浜港に停泊している船舶の汽笛とともに明けた。
いい年になっておくれ!

2003年散々だったのは、息子でなくわたしでこのブログの犬シリーズに出てくる駄犬の散歩していてわたしあるアクシデントで右手中指第一関節の腱を切ってしまい、例のハマスタ近くの大病院で腱繋ぎの手術受けたのです。

手術したからといってすぐ治るわけじゃなく、腱がくっつくまで固定して包帯まいて左手で息子のユニフォームの洗濯をしていました。

この時期はあの病院には本当によく通ってお世話になりました。

中指回復の年明けの頃、あと何日かでまた練習の日々が始まる。

そして試合解禁になって2年生になったら、、。

息子公式戦に出られるのかしらん?
そしてレギュラーになれるのか?

それまでは全く考えたことなかった。

子供野球ではけっこう早くから中心選手にさせてもらっていたし、中学でも試合に出るのは当たり前だと思っていた。

だが、高校生になったら微妙にイヤ全然違う( ゚д゚ )
何が違うかって、エースで4番みたいな子ばっかりなのだ。

これは今までのようなワケにはいかない。

だってここ進学校なんでしょ?!
って、言ったからって、進学校だってそうなんだって。

のんびり正月休みを楽しんでる場合じゃない。
息子よ。頑張るのだ。

横浜緑ケ丘高校野球部の星となるのだ☆彡

と、このように2004年年明けには、2003年春には野球部はキツイから、とか汚れるからとか言ってやる気のなかったわたしが完璧欲が出てきてしまったのであった。


冬のお休み

クリスマス寒波がやってくる。
年末年始は野球部の練習も休みとなる。

この頃のクリスマスわたしは大きなゴールドクレストを買った。
クリスマスプレゼントのつもり、クリスマスシーズンはまだ練習お休みじゃなかった気がする。

ライトアップもした。

練習はして家近くを走っていても、相変わらず体重増加のための大量食料買出しと調理して洗濯していても冬はやはり夏の輝きはない。

年明けて3月になれば、公式戦も練習試合も解禁になる。
早く3月になあれ。

そして4月には新入生が入ってくる。
息子にも後輩が出来る。

なんだか突然、時間が駆け出し始めた。
あまり暑くもなく、わたし的にはなんとなく終わってしまった2003年夏。
2004年どんな年になるかな?

季節は音もなく秋から冬に移ろう。
12月上旬の南関東の街は紅と黄金に満ち溢れる。

この時期に高校野球、練習試合も公式戦も行われない、、。(と、思う。)

わたしの記憶がさだかならばそうだ。そうだったと思うが今は違うかも知れない。

今度息子が帰省した時に聞いてみる。

12月も末頃には紅葉した落葉樹は葉を落とす。

寒い{{ (>_<) }}冬がやってくる。 だが、息子たち寒さなんかにメゲずに3月(多分)の試合解禁目指して練習を続けている。 野球って原則外でプレーするんだから夏より冬のほうが辛いだろう。 わたしは暑さには強いが{{ (>_<) }}寒いほうが苦手。 生活全般がそうなんだけれど、冬は夏場必要なかったグッズがまた一山入用となる。 ↓このような手袋。

このタイプの手袋は小学生の頃冬の練習にしていった。
何故か高校生となってからは不思議なことに軍手を愛用し、この手袋の大人用は買わなかった。
買ってやったのに!

だがこの手袋は非常に非常に重宝し、文字どうり手袋が息子の手に負えなくなってから?

つまりはいくら伸縮性が良くてもうちの子手が大きいものでジュニア用では間に合わなくなった。

あら残念、なのでこの手袋その後永きにわたってわたしが使用した。

わたしの手はピアニストとしても女性としても小さめなのでジュニア用で間に合う。

冬の犬の散歩に使った。もこもこゴロゴロしなくてそれでいて伸縮性があってスグレモノ。
手のひらに滑り止めがついているのも犬リード掴むの滑らなくて良かった。

少しくらい糸がほつれても使っていた。
が、しまいにはとうとうボロボロになったので捨てました。
いったい何年使ったか?10年近く使ったんじゃないか?

冬中使ったのが、そしてカイロ。
大箱買ってもすぐになくなった。
それは、使うのは息子一人ではなく練習見物に出かけたわたしも大量に使ったから。

冬場うちは常時このようなカイロがあった。

ウィンドブレーカーも持ってたな。

冬のあいだは息子たちは走っていた。
本牧緑ケ丘から聖光学院の横を抜け根岸森林公園の横を走る。
このポイントでわたしは見物をする。

時には犬を連れ、時にはその後買い物をする。

根岸森林公園から山元町の商店街を抜け、山手町の高級住宅地を走る。

海を望む美しい邸宅の並ぶ道を下ると山手警察のあたりに出る。
そこから本牧原を間門目掛けて走って間門のへんに着くと丘(山)を登れば横浜緑ケ丘高校到着。

ご苦労であった。
わたしは地元なのでほぼこの走行コース把握しているけれど、例によって全て坂まるけ。
歩くのだってこの距離、この坂、大運動会になってしまう。

長い冬が終わって4月になれば新入生が入ってくる。

来年、公式戦に出られますように(祈り)

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整形外科

またまた初めての秋の大会が始まる。
だが、まだ息子はベンチに入れない。

わたし的にはここまでたどり着くまでに未知との遭遇目白押しであった。

大会にしたってまだ息子は出場選手ではない。

公式戦に出られる選手になって欲しい。とは、思ったが3年生になるのは遠い将来のこと。
くらいにしか考えていなかった。

なので、1年秋の大会については全く記憶になし。
あるのは息子はベンチ入りしていないこと。

そしてこの頃、マトモな外傷とか無理からくる過労とかでない病院行きが始まった。

怪我に入るのか入らないのか?痛みが出た。

整形外科に行った。診察してもらったら野球やめれば治る。と、言われたとか、、。
まぁ、そりゃそうだろう。アタリだ。

だが整形外科に行って言われることか(゚Д゚)ノとも思う。

なのでスポーツ整形なるところを探し出して(ここは車で送り迎えしなきゃ通い困難だったので車出してやった。)診察受けるも混んでる(><)

こうもいたるところが痛むのは良くないのでは?野球部やめるか?
イヤ(キッパリ)それはダメ。

やっと掴んだ高校球児の母の座!明け渡してなるものか( ̄∀ ̄)

最初文句言ったのにすっかりハマってしまったわたし。

しまいにそんなのバンテリン塗ってりゃ治る!と、ランボーなこと言ってしまった。

これ、わたしも使っている。

この経験からか息子はテーピングするのが上手だ。
わたしは左足首を若い頃何度か捻挫して時々痛くなる。

普段はとにかく趣味のバレエの稽古の時、息子教わってテーピングしている。

今でこそ在庫がだいぶ少なくなってきたが、最盛期にはこれくらい色んな幅のテープが家にはあった。

秋の大会が終われば冬になる。

冬になれば練習試合もなくなるそうだ。
だが、練習は続く。
冬の練習は家の近くの道を何キロも走る。

見に行かなければ。

指定校推薦を逃す!!

高校球児となった息子は暑さに強く体は頑丈にできている。
そうじゃなきゃあの炎天下での練習や試合は無理であろう。

この頑健な体質はわたしに似た。ついでに痩せる体質もだ。

ただし人の体。壊れるときは壊れる。
横浜緑ヶ丘高校、野球強豪校ではなくて進学校であるので試験前の部活は休みとなる。

したがって常日頃は泥まみれにになって日没後帰ってくるものが試験前には早めに帰ってくる。

帰宅部の生徒だと日常がこんなものか。
だがだが、その試験前息子は∑(・∀・) コワレタ !!

朝起きられないほど気分が悪いと、、、。
そりゃ入学から入部、夏の大会に合宿、全て張り切りすぎたツケだと思うよ。

だが、試験までにはなんとか治してしまわないと。
わたしたちは本牧のかかりつけ医院に向かったのです。

診察の結果特に悪いところないそうです。
疲労からくる体調不良、それにしても随分ハデな体調不良だと思う。

点滴受けて(流石に学校に行くとは言わなかった。)薬局で薬もらって脱水症状にならぬよう↓このような水をしこたま仕入れました。

回復はしていったもの絶不調でロクに勉強せぬまま受けた試験は惨憺たる出来だったらしく。

これで指定校推薦逃した(><)
指定校推薦とは真面目に学校に通って良い成績の子は受験しなくても大学に入学出来るシステムのこと。

そっか、部活のほう休まなくて良かったヾ(*´∀`*)ノってものでもないか。

もー、塾も新たに決まったというのに。
また
2年半後受験かよ┐(´∀`)┌ヤレヤレ

とにかく、これに懲りて体力の過信はしないように自己管理に励むのだ。

もうすぐ秋の大会。

夏休みの合宿

2003年の夏は終わった。
そう3年生にとっては、これから受験の日々が始まり高校野球に別れを告げる。

だが当時1年生だったうちの息子の夏はまだまだ、続く。
夏の大会の後は合宿がある。

さあて夏の合宿何処に行くのかな?
旅立ちの準備は自分で出来るだろうが手伝ってやらなければ。

バスタオルを多めに持たせたほうがいいかもしれない。

だが、合宿仕度は心配しなくても良い。って、大人になったものだわ!
だって学校に泊まるんだから、、。

ガッコーΣ(´∀`;)清里とかに行くんじゃないのか?
そりゃ学校ならば支度はテキトーでいいだろう。
足りないもの発見したらわたしに持ってこさせりゃいいんだから、、。

だがだが、学校のどこに泊まってお風呂はどうするのだろう?

あの学校見かけによらず宿泊設備や入浴出来る設備があるのか?

布団はちゃんと用意してもらうから問題ない。と。
で、お風呂は大和町か間門の銭湯に行く。って。

その銭湯両方とも、廃業銭湯の多い中で元気に2016年のいまも営業してますぜ。
夏になったら横浜緑ヶ丘高校の野球部の生徒今でもやってくるのかしら?

そして是非とも必要なモノは花火。

花火!!((((;゚Д゚))))何しに合宿に行くの?
練習するんでしょう。遊びにいくんじゃないでしょう!

だって、照明設備ないんだから夜は練習出来ないから。

はぁ~ε=(・д・`*)ハァ…
で、母親たちからの差し入れがあるが、それは2年の保護者の仕事。
わたしは花火代と合宿代出してくれればいい。って。

1年生の夏息子は楽しい楽しい合宿へ、旅立ちというほどのものではなく、平常どおり本牧緑ヶ丘へと出かけて行ったのです。

危機!アレルギーが!

怪我でもないのに息子が馬鹿に早く帰ってきた。
気分でも悪いのか?

でもなく\(◎o◎)/!
目が半端なく赤い。どーした砂粒の塊でも目に入ったか?

なんでも野球部の練習中目があまりにも酷い充血をしていたので2年3年のお兄さん部員が今日は練習いいから帰って医者に行け。
と、指示受けた。

では、まだ眼科やってる時間だから診察受けて早いとこ治療してしまおう。

大病院も混んでいたが、眼科も混んでいる。

診察の結果これまたシンプル。
ある種のアレルギーがあるかと思われるのでコンタクトレンズやめれば治る。
メガネかけてたって野球はプレー出来る。

それはそうだろうが、、。
スポーツメガネみたいなの買うか?

こういうの。

この手の事象がまたわたしは弱い。
わたしはこの年にして眼鏡、コンタクトレンズには縁がなく生きている。
20代の頃近眼が進んで一時的に眼鏡使ってたことあったが、酒飲まなくなったら視力回復してしまった。

なのでこのようにしたら良かろうのアドバイスが出来ない。

とにかくしばらくはコンタクトレンズやめて眼鏡でプレーするしかない。
だが、なんとかしたい!

なんとかしたくてもねー。生涯コンタクトレンズなしで過ごすであろうわたしは考え及ばない。

このような今時の男子に流行ってるらしいメガネを10代の頃より使っている。
あんまりスポーツタイプには見えない。

たしか目薬ももらったとは思うが、眼科医のいうとおりコンタクトレンズ使わなくなったら目の充血は収まった。

医者は慣れの問題だ。とは言っていたそうだがやはり眼鏡で野球をする場合視野が狭くなるのではなかろうか?

だが、10年前のいまどきながら情報化社会。
息子はちゃんとまた、解決法を見出しました。

それが古式ゆかしいちっこい丸レンズを目玉に装着して外したものを洗って小さな筒状のものに入れて保管するあのレンズではないコンタクト。
使い捨てレンズだと(゚д゚lll)

息子の論理はアレルギー物質は洗浄したって同じレンズ何度も使ってれば付着するに決まってる。
だからその都度レンズ捨てちまえば問題は解決する。

あのあの、世の中そのようなものが存在するのか?
て、コマーシャルでやってるじゃない?!

そう言われましたが、わたしは多分一生コンタクトレンズ使わないのでそのようなコマーシャルは常時脳がスルーしてたわよ。

これがその使い捨てコンタクトレンズ、今でも息子は使っている。
確かに清潔だといえば清潔だ。

今は処方箋なしでも売ってくれるらしい。

しかしまぁ、結構高価だわい。

でもこれ使って以来、目の充血に悩まされることはなくなった。

やっぱり無理、塾を替わる

一年生の夏の大会、いつまでも帰ってこない息子。
この日は中学生の頃から通ってる塾へと行く日だった。

すみません。帰ってこないんですよ。
と、言って休ませてもらったことよく覚えております。

だんだん、塾通い負担というか行きたくても行けない状態になってきた。

どうする?
うちは高校も近ければ塾も近い。
遥か藤沢の辺から通ってくる学区外組みだっているのだからなんとかなるだろう。

考えが甘かったみたいだ。
やはり硬式野球部は硬派だったんだ。
じゃ、塾を辞めるか部を辞めるか?

塾の先生とも相談した結果、塾をやめることにしました。

決まった曜日に、決まった時間先生が待っている従来の塾通いは早くも一年の夏休み前に煮詰まった。

塾に行かなくてければ大学に行けないわけではないだろうが、、。

県立高校大学がセットでついていない。

大学受験しなきゃならないんだよ!
ここは進学校だ。

さらに強豪私立に比べりゃだいぶんにヌルく甘い。とはいえ、結構な過酷な部活。

夕御飯食べながら寝てしまうことも幾度か、日々予習復習欠かさない暮らししてりゃ塾に予算投入しなくともなんとかなっても、あれじゃあどうにもならないんじゃないか?

このあたりはそもそも偏差値とは縁のない世界で生息してきてしまったわたしの弱いとこ。

中学の時の塾だって息子が自分で決めてきた。

心配しなくても運動部との両立が?!可能な塾というもの息子はしっかり見つけてきました。

自宅学習ではなくて(それも良い。自宅では寝ていることのほうが多い。)通いだが、衛生予備校というシロモノ。

通える時間に(時間制限はあるだろうが。)行けばよくて、先生が直接教えるのではなくてインターネット様の授業をする。
そんなのアリなのか?

それで大丈夫なのか?

結果からいうと例によって受験マニアの我が息子、現役合格した大学あったにも関わらず一浪したのですが、ちゃんと運動部に所属しながらも東大現役合格した子というのおりました。

そもそも通わなくてもいい。という学習塾発見いたしました☆.。.*・゚☆サクラサク☆゚・*.。.☆

初めての夏の大会

2003年夏、初めての夏の大会。

わたし、出かけていこうかと思ったが記憶呼び覚ましてみたら、1年生の時の大会はわたしは行ってない。
行ったのは2年生になってからだった。

息子の今日は勝つからの言葉信じて、では次の試合は観に行こうか、、。
と、構えていた。(思い出した。)

ベンチには入らないとはいえ、朝もらったユニフォームを携えて張り切って出かけて行った。
夏が始まった((o(´∀`)o))ワクワク

この年の夏、記憶が定かでないのとうちには高校野球の神奈川県大会の冊子が2004年からしかないのだが、、。

わたしがメゲたのは多分小田原球場だったから、、。(だと思う。)
後に、小田原球場行ったことがあるのだけれど、うちからは遠い。

あまりにも遠い。
はっきり言って所沢より遠い。

1時間に1本の御殿場線に乗ってゆくのだ。
神奈川県だが静岡県に近い。

どーも延長戦で負けたらしく、いっつまでたっても息子は帰って来ない。
何事か起きたか?

連絡は入って久里浜高校に負けたって。

はぁー、3年生夏終わったか。

残念、夏の大会がどんなものか見ておきたかったのにな。

だが、その時点ではうちの息子が3年生になるのなんて100年も後の未来のように感じていたわたし。
再来年には3年になってしまってあまりにも短い輝きなんだけど。

1年時の夏の大会はわたしが目を離している隙に終わり。
遠くのスタジアムからいつまでも帰ってこない息子を待って終わった\(^^)/