夏の旅

わたしのパスポートは大昔に失効している。
息子小学生の頃は海外旅行に行った。

国内でも飛行機で旅行もしたけれど、息子高校球児となる前くらいから旅行というものをしていない。

そもそも、夏というのは野球の旬。

夏前くらいになるとあーあ、旅に出たい。
今年の夏は何処を旅しようか?

の希求が息子、高校球児となってから全く湧き出てこなくなった。
とりわけ、高校2年の夏からは。

家族での旅どころではない。
この夏頑張れば息子、中心選手となれるかもしれない。

父母会の集まりも行われるようになった。

もー、普通の旅ではない。硬式野球部のある高校巡りの旅、練習試合観戦の旅だ。

土曜、日曜、祭日は練習試合ほとんど必ず行われるので行くのが当たり前。(強制ではない。好きで行っていた。)
神奈川県中の高校へ車で出かけた。
時には東京の高校へも出かけた。

車で出かけるのはうちに車があるからで、息子たち熱中症を起こさないためにペットボトルの飲み物や氷の塊を搭載して出かけた。

必要とされる水は各自持っているし、マネジャーさんがお茶用意してくれるがそれでも差し入れをするときはする。

夏場はウォータージャグが活躍する。

マネージャーさんたちお世話になりました。

夏場は球児ママのヘアケア、スキンケアも大変だけれど熱中症対策、観戦する方だって必要。
わたしが夏場元気を取り戻せる飲み物は

このビタミンウォーターがわたしは好き。

神奈川中の高校のグラウンド巡りすると、、。
やっぱり、私立の強豪校グラウンドまで立派。

スタンドまであって、その高校の父母会の方たちが飲み物や飴を配ってくれていた。
父母会の活動も断然活発そうだわ!

熱中症対策ではないけれど、アイシングバッグがうちにもあってよく使ってた。

今でもどこかにあるはずだけれど、これ熱中症対策にも使えそう。

夏は旬だけれどやはり過酷な季節。

また、海外旅行にも出かけよう。
おすすめサイト見つけた!

赤十字病院から

夏休みに入り2004年2年生の夏も学校お泊り合宿に出発、わたしは差し入れ当番にはならなかったので、本日練習着の洗濯ドカ弁作りのない日を過ごしていた。

3年生は引退したのでもう最上級か?
早いな。

また息子は大和町商店街の銭湯に行くのであろう。

何だか、あまりに近場で合宿してる気がするな。

そのように構えていた夕刻近く、ななんと当時は根岸のあたりにあった赤十字病院から電話。
(今はみなとみらいに引越ししてきている。)

息子怪我して、日赤で預かってる??
「とにかく、行きます。」

息子よ。今度こそ大手術するような怪我をしたのか?

わたし、家の近くでタクシーを捕まえた。
「赤十字病院へ。」
そしたら
「出勤ですか?」って、そっか看護師の準夜勤になる時間帯か。
わたし看護師に見えるのか?

ということは、またも時間外診療か。
バッティングマシンの球が首に当たったという話だったが、、。

「いえ!野球部の息子が部活で怪我したんです。ううっ。」
運転手さん、突然お気の毒モード。

病院に到着すると、案外息子はピンピンしてる。

どうしたのだい?
バッティングマシンの球が首に当たってその場に倒れたそうだ。
少しふらつくがもう気分はいい。

だが、当たり所が首なので、、。

お医者さんがレントゲン写真示すところ、首の骨は折れてなくて、、。

それはわたしが見てもわかる。
見るからに立派な頑丈そうな骨である。と、お褒めに預かりましたわ。

そうよ。わたしたち親子は細めだけれど超頑丈な骨を所有している。

だが、どこかに異常、炎症が隠れていて痛み違和感がこれから出てくるかもしれない。

うーーんん。そうか!本日、レントゲン撮影料、時間外診察料払ってうちに帰って大人しく寝たほうが良いであろう。

ところが、病院出たところでうちの息子。
「合宿に帰っていい?」
あのな!

横浜緑ヶ丘高校よほど楽しい学校なのか?って。
異常、違和感があったら必ずうちに連絡して病院に行く。良いな?

またしても病院からわたしは家に、息子は学校の合宿へと帰って行ったのです。


ファミレスに集合

2004年の夏の大会が終わった頃、いよいよ父母会の活動が本格化するのでその話し合いがファミレスにて持たれました。
集合時間は夕刻、働くママが多いためです。

キャプテンの親が伝統的に会長に就任いたします。

うちの息子はキャプテンではありません。
なのでわたしは会長にはなりませんでした。

秋の大会に向けて準備を進める。主に応援。

氷を用意しましょう??

こおり、、。氷ってあの氷だよね?
ペットボトル入りの飲み物を配る。その時、ぬるくならないようにするため。
どうするんだ?

車を出してくれるうちは協力を要請。

また、大会に向けてお揃いのTシャツ、ポロシャツ等を作るか再度話し合いの場を設ける。

また、夏休み中に合宿が行われるので差し入れを父母会からする。

あのうちの近所の銭湯通いして、花火をする合宿か。

花火差し入れるのか?

これは部員たちが各自で用意する。

差し入れるのはアイスクリームを人数分。

わたし、夏の合宿ならこんなの差し入れて欲しい(*´∀`*)

高校球児ママ友会の結束\(*⌒0⌒)♪
息子たちこそ頑張るが、ママたちも頑張る(*^_^*)

この夏場、お肌のケアもさる事ながら球児ママたちが苦労するのがヘアケア。

息子さんたちはたいてい5分刈にしているからいいが、球児ママのわたしまでお揃いの5分刈りにするわけにはいかない。(袈裟着てない尼かとおもわれるよ。)
わたしは肩くらいまでのセミロング、濃い栗色にカラーしてたのが、その頃退色してまるで赤毛。

美容院で髪全体濃い色にカラーしてもらったら、、。
頭の地肌まで日焼けしてるって(◎-◎;)!!

髪の毛が痛んでバサボサになったのは言うまでもありません。

帽子かぶってタオル被ってたっていうのに。
かといって、いくら中年でも女であるわたしは傷んだ髪を切って坊主に(再度言いますが、出家するわけじゃないんだ!)して紫外線が弱まった頃また髪をのばす。
という手は使えません。

このようなヘアケア製品を使ってヘアケアに努めるしかありません。

また、時と場合によってはオリーブオイル髪と地肌にすりこんで蒸しタオルを頭にぐるぐる巻きにする。その後シャンプー。

これは効きました。顔面のツッパリがひどい時にはお面のほうにも塗る。
ツッパリが緩和(*´∀`*)

この頃から、わたし単独行動が少なくなりママ友会が頻繁に開かれるようになって楽しかったo(^o^)o

産後16年たっても地肌に効くシャンプー試してみる価値あります!

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大和引地台球場

さて、大和引地台球場って、どうやって行くんだ?
2年生の夏、まだこの頃はママ友たちとチームを組まないで単独行動していた。

相鉄線大和で降りる。まぁ、なんとかなるであろう。

2004年7月12日。
スタジアムが近づくにつれてのワクワク感。

息子高校生になってはじめての公式戦。
勝ってくれ、勝つんだ!そして、なにより試合に出てくれ!

だが、どうもこの対戦カード相手校の藤嶺藤沢高校強いらしい、、。

2004年、前年の涼しい夏の2003年のぶんを取り戻すかの如く、暑い夏となった。
相鉄大和駅からトコトコ歩いて約15分、吹奏楽のクラブやチアのクラブも来ていて、何だか本当に、、。

高校野球している。
よくぞここまで成長してくれた!
思えば長いような短いような16年。

うちの息子は8月生まれなので、正確には16年11ヶ月。

選手一人づつ、ちゃんとテーマ曲があってうちはさくらんぼ。

だが、この日の試合4対1で藤嶺藤沢高校の勝ち。
横浜緑ヶ丘高校の夏は終わりました。

そして、息子も背番号15をもらいながらも出番ナシ。
ううううっ、か悲しい、、。

2004年、7月12日。夏の終わりに大和引地台球場引き上げようとした。
その時。

スタジアムに来ていた同学年のママ友。

これでわたしたちが最上級生、父母会の活動の中心となる。
キャプテンの親が(うちの息子はキャプテンになる心配はない。)例年、父母会の会長なり会合の場を設けるので、では早速、、。

ええっ、そっか!

夏の終わりは新体制の発足、息子よ来年の夏こそは試合に出てくれ、そして活躍するのだ!

わたし頑張るわ\(*⌒0⌒)♪

2003年春、高校硬式野球部入部について少なからず文句言ってたわたし。
2004年夏には丸ごと、高校野球にハマッていたのであった。

夏場の球児ママに是非とも必要なのは容赦ないスタジアムの紫外線対策。

このような日焼け止めは是非とも必要。
ですが、真夏の太陽光線は日焼け止めだけでは防ぎきれるものではありません。

だが、日焼け対策を怠れば後々、どのような大惨事に見舞われるかは火を見るより明らか。
夏のスタジアムは気温40°以上にもなるので当然盛大に汗をかくので汗に強いタイプの日焼け止めがお薦め。

それに加え

このようなお洒落なバスタオルをブルカの如く、頭から被ってしまう。

それでも、日焼けはします。
もう、これは宿命ですが何もしないで劣化、酸化させておくテはありません。
現在使っているのは

この基礎化粧品、息子社会人となってしまった今でも野球それもデーゲーム観戦は好きなので日焼け止めに加えて中年の肌にあうスキンケアは欠かさずしております。


2004年の夏 続き

息子が出場する初めての夏の大会。
2004年7月10日土曜日、さあ、テレビで見た甲子園大会の開会式イメージしてたわたしです。

直接開会式見るのはわたし初めて、息子幼かりし頃の観戦は完璧開会式が終わった後の試合。

だいたいがところ、甲子園と似てはいますが、やはり完璧に違う。

そりゃ、この中から勝ち抜いた一校だけが甲子園には行けるんだから、違うといえば違うのだけど。

神奈川県大会全国最多、195校。
甲子園のように見ている間に、全高校球児が整列してしまうのとはワケ違う(^_^;)

エンエンと入場行進が続くのです。

神奈川だけでもこれだけ高校球児がいるのだ!少子化なんてウソじゃないか?って、思いますが、本当に統計上少子化はしている。

でも、こんなに野球部の生徒(全員男子)いるじゃないか!
少子化本当なのは2003年、なんでも何年ぶりかで200校切った。って。

待て!では、2002年以前は200校以上もの高校球児が行進したのか?

なんとブリリアントな光景ではないか!

夏が輝き、青春が輝いている。

栄冠は息子に輝いてくれ!

今でもこの曲輝かしい夏の日々に結びついている。

こちらは吹奏楽の楽譜、野球部の応援に吹奏楽部の皆様演奏してくれました。
ありがとうございました。

開会式後、球児たちがバックスクリーンの下が開いていっせいに走って退場する。
わたしはこの場面が好き(*´∀`*)

開会式が終わっても息子たちは学校に帰って試合に向けて練習。

横浜緑ヶ丘高校、ハマスタから近いからいいけど、遠くの高校は大変だろうな。

2004年開会式

夏が始まった。
2004年神奈川大会開会式((o(´∀`)o))ワクワク

7月10日横浜スタジアム、13時開始。

息子補欠ながらも入場行進に参加。
それも列の前の方だって( ´ ▽ ` )ノ期待されてるのか??

いえ、なんでも背の高い順に並ぶからだそうです。納得。

来年、3年生になると父母会も活動活発になって朝早く並ぶそうですが、当時の横浜緑ヶ丘高校野球部の父母会、1年2年の親は千羽鶴の鶴折り業務するくらいであまり仕事はない。
父母会の活動がもっとキビシイ学校はあるそうだが、、。

なので2004年の大会、うちは横浜スタジアムに近いせいもあってのんびり昼ごろ出かけた。

だがだが、デジャブの如くこの光景大昔、あるいは夢の中で見たことがあるような。

いえ、夢ではなく現実。

息子確かに3歳の時、TVKテレビで高校野球の開会式をやっているのを発見。
ハマスタで高校生が野球やってる見に行こう。

若き日のわたし幼き息子を連れてハマスタを目指しました。(て、JRでふた駅だけど。)
観戦したのは開会式後の試合。

汲沢高校(今は横浜桜陽高等学校)vs岸根高校。
確かに岸根高校の勝ち。(だった。と思う。)

あと10年少しで息子もこのような一人前の少年となるのか?

「高校生になったらここで野球の試合しようね。」
そう言った割には当初野球やるの歓迎しなかった気もするけど、まぁ。゚+.(*`・∀・´*)゚+.゚良い!

あの日のつぶやきが実現しそうだ。

この時から熱い戦いの火蓋が切り落とされるのだ!
そして、物理的に暑い。

不思議なことに7月10日なんて普通は南関東梅雨期真っ只中なのに開会式が土砂降りだった記憶1度もない。

けっこう半端じゃなく暑くなる。
暑さに弱い人は倒れるくらい暑い。

わたしも息子も暑さに強いからヘーキだが、プラカードガールは倒れる生徒もいる。
いつぞやは温度計(わたしのキーホルダーは温度計が付いている。)みたら45°だった。

それに加えスタジアム全体がハイになりまくってる雰囲気、審判員の方々もハイになってる感じ。

2004年の夏、どんなドラマが展開されるのか??

2004年夏の大会

文化祭が終わるといよいよ夏の大会。

息子は背番号もらってきました。
背番号15、わたしがユニフォームに縫い付けます。

ユニフォームの背中の上から9cmのところが四角い背番号の1番上の辺になるように、身長180cm以上のばあいは10センチ。

うちの息子は183cmなので10cm正確に測って、剥がれないように丁寧にだが縫い目が目立つとダサいので縫い目を隠すようにして縫い付けました。

見頃の打ち合わせの裏には必勝祈願したお守りを縫い付ける。

15番補欠番号だけど、いいじゃないか!
ベンチに入れるんだo(@^◇^@)o

高校2年生の夏本番、わたし今年こそ何があっても試合にいくんだ(*´∀`*)

マネージャーさんはこのようなマスコットを作ってくれます。

2年生のマスコット

あんまりうまく撮れてないけれど、今のところデジカメ壊れ中でガラケーで撮影しております。
マスコット裏側
こっちが裏側、ちゃんとイニシャルと背番号が入っています。

いよいよ夏の公式戦。
2003年春からわたしはがんばってご飯を大量に作り、息子は頑張って食べた効果が現れ体重は68キロまで増えました。
神奈川大会の公式記録は身長183センチ体重68キロ、仲尾台中学出身。

開会式は7月10日土曜日。
晴れますように(祈り)

1回戦は7月12日、大和引地台球場。対戦相手は藤嶺藤沢高校。

あのあの、うちにもこれありますが13年経つとこんなに高価になるものなのか?

2016年版はこんな感じ、全試合の記録が載ってます。

熱い(~Q~;)夏がやってくる。

文化祭

文化祭、緑高祭はうちの息子が在学していた頃は7月の第1土曜日、日曜日に行われておりました。

文化祭!それに関わっていた時期が遥か古の昔になろうともワクワクしてくる催しです。

もちろん当事者である息子も何週間も前から興奮しておりました。

1年生の頃はたしか正門のところのアーケード作り、高校生ともなると立派な建造物を制作するものです。

2年ではなにやったか記憶定かじゃないのですが、毎年カラオケ大会には出ていましたね。これは中庭で開催しておりました。

高校に入学した頃は野球より歌を習いに行くんじゃないかと思ったくらいですから。

体育館ではお芝居やバンド、チアリーディング部のパフォーマンス。

作品展示にお化け屋敷。

模擬店では文化祭仕様の料理。金券を買って引換えてもらいます。

高校生ともなれば何やっても上手。

青春の熱気が普段以上に学校全体を包み込んでいる。

そしてなにより、野球部はグラウンドで3年生は最後となる練習試合。

相手は翠嵐高校。

私、もちろん文化祭見物もいたしましたが、グラウンド後方の簡易スタンド(折りたたみの椅子並べただけだけど。)テニス部のコートの程近くで観戦いたしました。

ええーー!もしかして?次の練習試合からはうちの息子たちは最上級生!?
そしてわたしとここ1年半で野球部ママ友となったお母さんたちが千羽鶴作りや合宿の面倒を見るの?

なんだか世の中の色が変わって見えてきた息子高校2年の緑高祭であった。

校歌の練習

2004年度はどうかな?
桜の季節を迎え2年生になった。

春の大会はまだベンチ入りはできなかったけれど、2年になってまたもや父母会からのお誘い。

わたし野球部ママ友も出来て、すっかり学校ともおなじみになって出席。

そこでそうよ。
来年には、いえ夏の大会が終わればわたしたちが最上級生となるので中心グラウンドママとなる!

えええーーΣ(゚д゚lll)そんな!早くないか?

つい最近まで最上級生になるのは遥か未来に感じてたのに、、。

いや高校時代は全日制普通科は文字通り普通3年。

部活の期間は2年と4,5ヶ月もう3分の1以上過ぎてしまっている。
グラウンドママでいられる時期はあと1年と夏の大会で敗退するまで、、、。

千羽鶴を作るのも今回入れて2回。
短い。高校球児の母時代のなんと短いことよ。

もー、あと2、3人高校球児になりそうな男の子産んでおけばよかった。

6月になれば息子たちは校歌の練習が始まる。

あの甲子園大会で勝ったほうのチームが斉唱するように、神奈川県大会も勝った学校は歌う(そうだ。)

なんだか、早く夏になって欲しいような。
時間を引き止めておきたいような。

複雑な気持ちの2年生一学期であった。

高校生の頃はこんなバッティンググローブ使ってた。

もちろんこのような白手袋状態は長くは続かない。
このようなモノ使ってたって、高校野球やってた頃は手のひら肉刺だらけ。

また、コレよくユニフォームや練習着のポケットに入ってたので洗濯機で洗ってしまった。

普通は洗濯しないらしい。
でも洗濯したくなるくらい汚れる。

泥砂はもとより野球というのはすべり止め使う。

こんなやつがうちは今でもある。

これはスプレー式。
バットに吹き付けるやつ。バッティンググローブは多分これの松脂成分?!汚れる。


桜の季節再び

冬のあいだ、うちの近所の根岸森林公園の横から、中区周遊コースを8キロばかり走っていた息子とそのチームメイトたち。
よく、8キロも走っていたって!

わたしだったら1キロだって走れないだろうが!と、長距離走るのが嫌いなわたしは深く感銘を受けたのだが、、。

そのようにして春の訪れを待っていた。

春とはいえ{{ (>_<) }}寒い春の大会、まだベンチには入れないにしても4月には2年生。 高校生になって再度桜の季節がやってきた。 横浜緑ヶ丘高校の桜は美しい。 高校生たちの若い気のオーラで桜の木が活性化しているに違いない。 2年になってクラス替え、そろそろ進路指導の話で学校に来ることもあるであろう。 が、わたしは部活の様子見学に繁く学校にやってきていた。 新入生が野球部にも入ってきた。 初々しい。そこにいくとうちの子1年の間に少しは擦れてきたかな? 練習着も野球用具も使い込まれてきた(*∩∀∩*)ワクワク♪ボロくもなってきた。 1年生はうちとは違ってピカピカの真白い練習着を着ている。 これ、背中と胸に名前を入れる。 うちはマジックで書いたけれど、それもキビシイ洗濯で薄れ消えかけ白から茶色に字の色が進化する過程で色の境界が曖昧になってきてる。 (。-_-。)再度太めの油性マジックで書かなければならない。 書かれた字は曖昧でももうみんなうちの子の名前は覚えているだろうが、着替えの時誰のモノかわからなくなる危険性がある。 最近は名前入れのサービスが行われている。 このように名入れをする。

練習はこの練習着で行って、試合のときは学校のユニフォームで試合する。
大会のときは背番号を縫い付ける。

次の夏の大会こそ背番号もらってきておくれ。
この1年わたしもたくさんのことを学習した。

洗濯とご飯作りこそわたしはしたが、息子は野球用具の手入れはよくしていた。
スパイクに補強ガードをつけて(これは例の野球用品のお店に頼むらしい。)泥を叩き落として廃棄決定した裂いたシャツで拭いて手入れしていた。(詳しくはよくわからない。)

↑これ、底にピンのついた靴とわたしは呼んでいた。

桜の花の中で進級して、2年生になってなんだか急に先が見えてきた気分。
そしてとうとう高校野球に完璧にハマってしまったわたし。