千羽鶴制作

5月22日、千羽鶴制作決行(*´∀`*)

学校の小会議室に3年生の保護者そのうち母親集合。
朝から集まって、お昼のお弁当はイオン本牧店の田吾作に頼んで、さぁ、息子たちの勝利の願いを込めて千羽鶴を作り上げます。

それ以前には1年生、2年生の保護者の方々にも協力して作ってもらった折り鶴を集めます。

10羽づつの鶴
頭を折らないで作った鶴を10づつ重ねます。

集まった鶴
色別に集めて配色を決めます。

どうも写真が小さい上に不鮮明でわかりにくいとは思います。
10年も昔、サイト製作用に加工してしまったもので、元は多分デジタル画像だったと思うのですが、当時はデジカメで撮影した写真をそのままサーバーにアップするような無謀なことすると底が抜けてしまう。

と、いう事態に遭遇してしまったので小さく軽く加工せざるおえなかったのです。
元の画像から再度加工すれば良さそうなものなのですが、元画像どこ探してもないのですm(._.)m

ともあれ、ここで協議して配色を決めるのです。
もっとも、配色は最初に決めてグラデーションにする。とか、平に並べて文字が浮き出る出るような色使いにする。とか、各年代、各保護者会、マネージャーさん達工夫を凝らすのです。

それが決まったら一番下に鈴をつけたパッチワーク用の糸で連を作ります。つまり鈴を抜け落ち防止にして(そっかそれで抜け落ちなかったのか!)糸で繋いゆくのです。
一連50羽。お行儀よく並べて繋いで行きます。

5000羽あるので連は100、たかだか折り紙とはいえ相当な重量になります。
いや紙だからこそ┗(;´Д`)┛超重い。

配色が決まった

このような配色にしました。

バラバラ、ごちゃごちゃにしないためには4つの小分けにして上の糸を束ねます。
手前にあるのがくす玉というかぼんぼり。

わたしはこれの作り方は全然わかりません。
普通心配しなくてもこのようなものを製作するのが上手な人というのが必ずはいると思われますが、、。

雪洞、くす玉作りはこのような書籍が役に立つかと思われます。

全折り鶴をキーホルダーのリング用の輪に結ぶ。

こんなのに結んでばらけないようにする。
これは業務用で多分小売はしてくれないと思う。壊れてリングだけ無事なキーホルダー使うのが良いのではないか。もしくは単語帳束ねてるリングを用いる。

とにかく、相当な重量になるので覚悟をしましょう。

ここまできたら完成間近、だが、この雪洞との合体に注意が必要。
リングが見えるのはダサい。だが、所詮雪洞は折り紙をボンドで止めているテキトーにくっつけようならバラバラになって原型とどめなくなってしまうので慎重にぼんぼりの中にリングを入れて上まで貫通させる!

この難関を突破すればこのような美しい千羽鶴が出来上がるのです。

雪洞
雪洞のアップ。

千羽鶴

完成した全体像。

もしも、息子たちの組み合わせ、保土ヶ谷球場に当たればこの千羽鶴はテレビで全神奈川の皆様の目に触れるのです。(保土ヶ谷球場はTVKテレビの中継あり。)
勿論主役は息子たちではあるけれど、わたしたち球児ママだってテレビに映るかも知れない( ´ ▽ ` )ノ

もしかすると、プレスがインタビューにくるかしら?

ライブ中継ありなんだから。

もー、保土ヶ谷球場当たりますように。
そして幼かりし頃の予言のように横浜スタジアムも当たりますように。

1日がかりの千羽鶴作りは完成。
そして来週は鶴岡八幡宮に千羽鶴を持って行って、必勝祈願です。

来週は鎌倉まで出かけるわ、、。

さて、来週の鎌倉、車止めるところはあるかな?渋滞いたしませんように。

そして神主様よ。これだけ願い込めて作った千羽鶴に魂を吹き込んでくださいませ。
息子たち、1日でも長く高校球児でいられますように。そしてわたし、1日でも長く球児ママ続けたい。


千羽鶴制作の準備

5月いよいよ千羽鶴制作の準備です。
22日学校の小会議室にて決行予定。

1日がかりの大仕事になるので、人数分のお弁当を確保。
千羽鶴制作班はおそらく全員母親となると思われる。

デザインは頂辺にぼんぼりを付けて4色の鶴の連なり。
連にする糸はパッチワークに使う糸を使う?

パッチワーク?そうか、わたしはパッチワークやらないのでそれ用の糸があるの知らなかった。
カットワークやハンダーガーなら経験あるが。

ぼんぼりも折り紙で作るそうだが、わたしは鶴は折れるが折り紙全般についてはさっぱりわからない。
作って持ってきてくれる球児ママがいるそうで、有難い!

鶴とぼんぼり合体にはリング??

このようなモノが必要となる。

なんだかわたし役にたつのか?
おそらくは学校から1番近くに住んでいて最も通うのにラク出来る。っていうのに、、。

だがそのような泣き言をいうわけにはいきません。
わたしだって、針仕事は出来ます。(だってカットワークだって出来るんだから。)

これがパッチワーク用の糸。
たしかこんな色だった。

なんだか、千羽鶴作り準備では全くもって役にたたなかったわたしであったが、とにかく当日学校の小会議室で折り鶴の連を1日で作り上げなければなりません。
わたし頑張るんだ(*´∀`*)

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3年生保護者会

5月5日はこどもの日、そして横浜緑ヶ丘高校野球部保護者会の日。

2年前の春、高校生の部活の面倒親がみるのかーー(・・?謎
だったわたしが、この日は3年生球児ママとして率先して?準備のお手伝いをいたします。

茶菓の手配からそして、千羽鶴折のお願い。
出席をとって、きっと不安であろう1年生の保護者の方々に気配りして、、。

なんだかわたし球児ママ板に付いた?
なのに球児ママ生活もあと何ヶ月か。残念だわ。
あと、4,5人男の子生んでおけば良かったわ。

この日、行われた保護者会、1年生から3年生までの保護者の方々が自己紹介して先生方からお話を伺います。

そしてその後、息子たちの様子をみるのですが、3年生の保護者たちはうかうかしてはいられません。

猛ダッシュで鶴を折り、全員から集め繋いで飾りをつけて千羽鶴を作り、それを神社に持って行って祈願をいたします。
神社だって決めなければなりません。

そしてそれを壮行会で選手たちに託します。

だが!それも試合に負ければ勝った高校に託すのです。息子たち負けるわけにはいかないのだファイト♪。゜+.o((◕ฺ∀ ◕✿ฺ))o

そして残り僅かになった練習試合全観戦を目指さなければなりません。
予定では都立高校もあれば、湘南学院のようなコワモテの高校もある。

ホホホ(*´∀`*)1年生の春、野球より歌の練習したほうがいいって言ってたのは誰だって?(わたしだ。)

歌のレッスンの資料請求もしたな。
まぁ、今年の文化祭でも息子は歌う。中学からのお友達のバンドでも歌うし、カラオケ大会でも歌う。

とりあえず、歌も頑張るのだ!

だが、練習試合とて観戦疎かに出来ず、カーナビがいる。都立高校?!どうやっていくんだ?駐車場あるかな?

このように、1年時では保護者会?ホントかよ?状態だったわたしが、3年生保護者会時には完璧ハマッて、一人前の球児ママとなっていたのであった。
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2005年4月

3年生になってから、この頃から夏の大会までははっきりしている。
それはさすがに曖昧モコとしたわたしの記憶力でも3年生の頃のことはハッキリ覚えているからではなく。
ちゃんと、記録してあったからです。

このブログの親サイトというのか?
今にして見ると超時代遅れなホームページが残ってる。

だがだが、これ削除してしまうのもなんだかしのびなく、かといって風化しつつあるのでこの記録とところどころ曖昧なわたしの記憶とを併せて猫日和ブログでリニューアル(というのか?)しております。

この桜の季節、4月3日にわたしたち3年保護者は集合して(主に母親)5月5日に行われる保護者会の打ち合わせを行いました。
4月3日って新学期始まってたのか?
って、思いますが、そのようなことはいいのです。

学校の授業があろうとなかろうと野球部は練習を行い。

春休みだからこそ練習試合にも精を出すのです。
当然、その応援にもです。

5月5日だって当然学校は休みです。

打ち合わせのために用意するのは5000枚の千羽鶴用折り紙、これを5月22日までに回収して折り鶴の連を作り上げるのです。

保護者会は保護者会で、マネージャーさんたちはまた独自のを作ります。

普通の折り紙より小さい折り紙を使います。
この楽天のセットで1000枚、この5倍です。

これを、各自何10枚づつ配って折ってもらいます。
当時の野球部の部員は約50人前後、20枚づつ配ってもせいぜい1000枚。

それでは足りないので残り4000枚は3年生の保護者が主に折るのです。
息子たちよ。最後の夏こそヒーローとなってくれ(祈り)

その祈りを込めつつ、練習試合の追っかけと折り鶴作りと、洗濯、栄養士ご推奨(と、思われる)食事作りに精を出すわたしであった。

ご飯とお弁当作りの教科書はこれです。


是非とも欲しいのはカーナビ。
高校球児もあと数ヶ月。となれば、遠方の試合でも逃すワケにはいきません。
神奈川県中から、東京の都立高校とまで高速を使って野生の藤が綺麗に咲いている(季節ですね。)道を通って応援に駆けつけたのです。

2005年 千羽鶴準備

2005年の桜の季節、とうとう息子は3年生になりわたしは3年生の保護者となった。

まずは、新1年生が入部する。さて、どんな生徒が何人入部するかな?

2003年の春は息子もピカピカの1年生だった。

あの頃は、随分大人の大男になってしまった。と、思ったが、今にして思えば初々しい。

1年生、この練習着が白い。

うちの息子だって1年生の頃は新しくてきれいな練習着だった。
息子の練習着はわたしの懸命な洗濯活動にも力及ばず、最初白、そして今ベージュからほぼ茶色にその形態を変化させている。

膝がすぐに抜けるのでパットもつけた。

そしてところどころ、破れ毛羽立ち背中や胸にマジックで書いた名前はほぼ消えかけている。

名前くらい書き直せ。と、言ったのだが、もう部員全員に名前は知れ渡ったのでいい。そうです。

そして3年生の親ともなれば、仕事もたくさん。
日々、会合を開いて夏に向けて、また新1年生を迎えるための準備を怠りなくやらなければなりません。

早速取り掛かるのは、新学期恒例の父母会。野球部員の保護者が集まり顧問の先生たちからお話を伺います。

そこで、保護者の皆様に折り紙をお渡しし、千羽鶴作りの協力を要請します。

今度こそわたしたちが千羽鶴を作り、神社に赴き勝利の祈祷を捧げるのです。

ではでは手分けして折り紙を調達し新年度最初の父母会に備えます。

2005年度の始まり、この夏はどうなるかな?
横浜緑ヶ丘高校野球部。


2005年春の大会へ

3月になれば練習試合の解禁そして春の大会が始まる。

この息子レギュラーとなった公式戦であるのに、不思議と記憶は薄い。

確かに霧が丘高校で予選を戦ったのだが、、。

よーく、覚えているのは寒かったこと。

冬中このような使い捨てカイロを何度買い求めたか。

そして、春の訪れとともにこのようなモノは不要となるかというかというと、ならない。
相変わらず、寒い{{ (>_<) }}そうですよね。 野球外でやりますから、花冷えというくらいで4月に入っても寒い日は寒いです。

息子冬中使ってた軍手、なんで普通の手袋にしなかったんだろう?

このようにお洒落なものもあるというのに。

わたしはノルディック模様が好き。

とにかく、防寒対策は必要でした。これくらいの寒さでは低体温症になるはずないのは分かっていても低体温症になるんじゃないか?心配になるくらい寒い予選会だった。

あまり記憶に残っていないのは多分息子あんまり良い出来ではなかったのかもしれない。
これはわたしの特技で、わたしは演奏活動していたその頃から喝采の瞬間はしつこく覚えていても、悪かった演奏は終わった途端に忘れられるのです。

反省しないといえば、悪い点ですが、立ち直りが早いと思えば一種の才能です。

今現在、息子は新聞記者になって家にはいません。
赴任地にいるので今度帰省してきた時に当時の状況を聞いてみます。

でもクーラーボックス運びもしたし、わたし個人の差し入れもしました。

このようなキャンディ、差し入れいたしました。

2003年からこれで3度目の桜の季節、もうこれが横浜緑ヶ丘高校最後の桜の季節。
来年の桜の季節には大学生になれるのか?☆.。.*・゚☆サクラサク☆゚・*.。.☆

なんだか大学受験より何より、お洒落もしないで野球ばかり頑張っているような気もする。

だが、まぁいい。
塾にも一応通っているし、衛星予備校お世話になりました。

定時定刻に通わなければならないのではない塾だからこそ運動部でも続けられた。

とりあえず受験はどうにかなるさ。きっと。
それより、高校球児時代はあといよいよ何ヶ月か。
勉強は学校と衛星予備校に任せて、夏こそ輝く横浜緑ヶ丘高校の星となるのだ☆彡

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グローブだってオーダーしたんだし、残り少ない息子高校球児時代を思い切り楽しむのだ!(わたしが)

受験のことは夏の終わりに考えよう。

高校球児の私服

2005年になった。
4月には3年生になる。

2003年春には遥か遠い日々に感じたが、もうすぐ。

確かに年末年始は野球部の練習も休みとなったと思う。

と、いうことはこの時期だけ私服で出かけてたかな?
このあたりの記憶は定かではない。

うちの息子はお洒落だ。

中学生の頃は原宿まで連れて行って服を買ったこともある。

大学生になれば当然、わたし同伴で服を買いになんか行かないが、首都圏の若い者の流行りの店はほとんど行ってたんじゃないか?

時々、その服を奪ってわたしが着ていた。(@^▽^@)

だが、その息子からして高校時代はほとんど私服を買わなかった。

髪型も高校時代は中学生の頃からの行きつけ(これはわたしも一緒の店)の美容院には行かないで近所の理容室で五分刈りにしていた。

微かな休みの日はとにかく、私服着てる時間がなかったのだ。

練習は週1で休みだけれど、普通は学生服着て学校に通ってる。
土日祭日は、試合で、制服で行動する。

制服は学生服。冬場は男子はこれで登校しましょう。と、自転車通学する人は届出出してください。
通学路と、法律を守りましょう。くらいが、校則だったかな。

夏服に替わる時期狙ってクリーニングに出していたが、今は丸洗い出来る。清潔でいい。

スクールセーターは紺のを持っていた。

   

色付きでも学校的には良いらしいが、野球部はNG。全部白いシャツ持ってました。
夏休みはほとんど練習と試合と合宿、私服着てお洒落して出かけることもナシ。

2005年、そんな高校球児の日々もあと何ヶ月かになってしまった。

秋の大会の雪辱を果たすのだファイト♪。゜+.o((◕ฺ∀ ◕✿ฺ))o


2度目の冬

もうこれが、高校球児最後の冬。
本当に早い。

来年の今頃は受験、センター試験受けるのだろうか?
11月からは練習試合もなくなる。

わたしは冬生まれなのだが、冬は苦手な季節、それに息子の練習試合もないのがよけい凹む。

冬のあいだ、息子たちはうちの近く根岸森林公園に隣接する道から山手方面に向けて8キロくらい走る。

わたしは公園でランニング風景を見ていた。
ほとんど見に行った。

見たからどうだ!というものでもないけれど見に行った。

2005年の夏になれば息子は18歳になる。
ハマスタに開会式直後の試合見に行ってから、その時点でほぼ15年が経過する。

18歳になれば成人はしていないもの、だいたい大人とみなされる。
子育てってここまで来てしまえば驚く程早い。

15年前のハマスタ、あと15年経てば18歳になるのは明瞭な事実なのに、わたしの息子に限ってはいつまでも小さな男の子でいるものだとどこかで信じていた。

15年経てば180cm越えの大男に成長すること、想像していた筈なのにやはりどこかで信じてなかった。

成人するまであと2年半。10代を引き止めておきたい。

次の大きなイベントは春の大会だが、、。
秋季大会予選敗退してしまったのでお揃いの父母会シャツの話は立ち消えしてしまった。

こんな緑の地にプリント入れる予定だったのかな?

だが!2005年はどうかな?
横浜緑ヶ丘高校野球部。

3歳くらいまでこんなの使ってた。

秋の大会

夏は終わった。
秋季大会が始まる。

2年生の秋、ここまでの長い道のりを歴てとうとう息子レギュラーの座を掴む。
背番号5を持ってきた。

1年半わたしの頑張りもあって体重が70キロ越えになった。

高校生になって初めての公式戦出場、活躍出来ますように(祈り)
わたし試合に勝つためのいろんな儀式試行錯誤中。

こんなのをユニフォームに縫い付けます。
写真は10ですが、うちは背番号5。

だが!この初めての公式戦、なんとまあ予選敗退。
悔しく(><)かつ悲しい、、。

立ち直るのだ。息子よ!そして来年の夏こそ甲子園を目指すのだファイト♪。゜+.o((◕ฺ∀ ◕✿ฺ))o

そういや、夕べ悪い夢を見た。
息子が球技大会に出る。と、言って楽しそうに笑っていた。

いい夢じゃない?
じゃない(´;ω;`)これ立派な逆夢になる夢なのだ。

次の大会の前は泣く夢みますように。

そういえば、秋季大会の前辺り夏休み明けだったか、夏休み前だったか?
進路指導の三者面談があった。

今は部活頑張っていて、衛星予備校で勉強して来年夏の大会が終わり次第、勉強一筋にするが、甲子園で優勝してしまったら勉強の開始8月の終わりになるからって。
言ったな。

常時受験のことなんかこの頃は飛んでた。

本人はちゃんと勉強してたと思う。

まぁ良い。指定校推薦は逃したから、受験はしなきゃなんないが考えるのは来年の夏が終わってからでいい。

洗濯やご飯作り、飲み物や氷の運搬や神社巡り、整形外科の送り迎えはわたしに出来ても大学受験の勉強わたしが教えられるワケないじゃない。
と、開き直るわたし。


またまた、長い冬がやってくる。メゲずに洗濯に精出そう。

洗濯石鹸を大量消費して。

球児のご飯作りに励む。
来年の夏までには体重80キロ目指す。
無理だったら75キロ(小声)痩せる体質というのも苦労するというこを知った。



秋の大会間近のペットボトル運搬

最上級生となって(まだ2年生だけれど3年生は引退。)
秋の大会がすぐにありますから、この大会からわたしたちの代が中心になります。

大会の会場は横浜緑ヶ丘高校。

今度こそ、今度こそ、、。
息子よ。公式戦出場か?

わたしもより一層頑張らなければならない。
ほとんど毎日あの頃は大量のお弁当を作った。

そして夏場大量の氷を作る。

氷作りの方法は、、↓。

このように牛乳パックもしくはジュースの空きパックをよく洗って上部を切って水を入れて冷凍庫へ。
氷が出来た。

牛乳パックの氷

上から見たところ。出来るだけたくさん作ります。
牛乳パックの氷上から
このままビニール袋に入れて車で運ぶ。

クーラーボックス担当の球児ママ、もしくは球児パパがこのようなクーラーボックスを車に積んできます。
うちが担当だったこともあります。

このクーラーボックスに

パックの氷剥がす
まずはパックを剥がす。
そうすると、このような↓大氷が出来ています。みんなで協力して作ったこの氷の柱をクーラーボックスに入れて水を張ります。

氷ができた
水は現地調達。
その中に

このようなペットボトルをどっさり入れます。息子たちが熱中症にならぬよう、渇いた喉が潤うように用意いたします。

ペットボトル運搬係もいたしました。

当時はカーナビなし出かけたけれど、よくやった。
カーナビは出来るだけ搭載致しましょう。

あの当時迷子にならずにすんだのは単に運が良かったからです。

今でも夏はこのやり方で氷の柱作って自家製の冷たい飲み物ストックしています。

秋の大会こそ、試合に出られますように(祈り)