2017年7月7日

2017年7月7日晴れた。
そして明日7月8日は、第99回高校野球選手権神奈川大会の開会式。

開会式は正午から、あれからもう12年が経過した。
12年前の夏、うちはこの時期だけ何紙も新聞を取った。

TVKテレビも録画した。
もっとも12年前より世の中は進歩して、メールで試合の経過を知らせてくれるサービスもある。

明日も晴れる。
ここ12年開会式が土砂降りだったことはない。

天も高校球児を祝福してくれるんだわ。
明日の横浜市中区の最高気温予報は31°。
それだと、ハマスタのスタンドは40°くらいになる。

息子が3年生の時、開会式のプラカードガールが廃止になった。
暑さで倒れる少女が続出したためと思われる。

高校球児が倒れたのは見たことがない。

息子にそのことを尋ねたら意地でも倒れないそうだ。
まぁ、わたしも息子も暑さで気が遠くなったことはない。

スタンドで球児ママが倒れたということも遭遇したことはない。
高校球児の暑さに強い頑健な体質は母親からの遺伝によるものが大きいのではないかとも思う。

なので、高校名が書いてあるプラカードは選手が持って入場行進した。
今でもそうなのかな?

横浜緑ヶ丘高校、初戦は12日水曜日13時30分から大和引地台球場、対戦相手は茅ヶ崎西浜。
今年はどうかな?初戦突破してくれ。

明日の試合は14時10分開始予定、高浜高校対南高校。
この試合は観戦して、ハマスタ名物みかん氷を食べよう。

ワクワクする季節の始まりだわ。
ガンバレ\(*⌒0⌒)♪神奈川高校球児たち。




2017年緑高祭

今日は朝から山下公園近くの劇場に打ち合わせに出かける。
20系統のバスで帰るも山手駅でGREENDAKARAなるポスターを目にする。

清涼飲料水の新手のコピーかい?
7月1日2日、、。アララ、緑高祭のポスターじゃない!

毎年毎年、緑高祭梅雨の合間をぬって行われる。
息子が在籍していた3年間はなんとかお天気もった。

3年生の時はカラオケ大会で息子優勝。
最後に歌を(夏の終わり)歌っている頃に雨が降り始めた。

神は横浜緑ヶ丘高校を見放していない。

明日、明後日の横浜市中区の天気予報は曇り、時々雨。
だけれど、きっとお天気はもつ、その分今日景気よくふってくれ。

息子に知らせたくも息子は茨城に赴任中。
それに知らせなくても多分息子はもう情報は掴んでいる。

埼玉西武ライオンズの森慎二コーチ死去の知らせ、その日の夜遅く息子がメールで連絡してきた。
新聞記者というものはすばしこい。

すばしこいが新聞記者休日とてそうそうは赴任地離れるわけにはいかない。

今でも翠嵐高校との試合をするのだろうか?

行ってみたいが明日のわたしのスケジュール、朝これまた劇場の予約取り付けるために電話する。
次、正午まで仕事。

行くとしたら午後。
明後日、2日この日は明日の夜にならなきゃ都合つくかどうかはわからない。

確定しているのは15時から仕事。



わたしの手元には今でも2005年の緑高祭の冊子がある。
この時のコピーは「全緑疾走」~ひからびるまで走ってやる~

当時のタイムスケジュールだと、翠嵐高校との試合は日曜日の朝10時。
日曜の朝ならば行けるかもしれない。

緑高祭が終わると次の土曜日、神奈川県高校野球大会が始まる。
今年は七夕の翌日、長期予報によると曇り、6時間に2回程度のにわか雨(なんのことだ?!)
とりあえず土砂降りにはなりそうもない。

ガンバレ神奈川高校球児たち。

そして横浜緑ヶ丘高校初戦は12日大和引地台球場。
天気予報は曇り最高気温30°
この頃になれば梅雨はそろそろ明ける。

12日は水曜日、土曜日曜は休みではなくても水曜はわたしは休み、行くわよ。





2017年夏の大会

2017年、今年も夏がやってきた。
去年は甲子園にプレスとして行った息子も今年は甲子園には取材に行かないそうだ。

それでも夏はやってくる。
神奈川県、夏の大会の組み合わせはもう発表になっている。
開会式は7月8日土曜日、横浜スタジアム。
正午。

7月8日の長期予報は横浜地方は曇り、最高気温は29°雨よこの日は降らないでくれ。

土曜日午前は仕事あるけど、これなら行ける。
(*´∀`*)ほハマスタは近くていいわ。

開会式後の試合は高浜高校対南高校。
観戦しますよ。

そして、横浜緑ヶ丘高校の初戦は12日水曜日大和引地台球場、試合開始予定13時30分対戦相手茅ヶ崎西浜高校、強いんだろうか。
天気予報、曇りにわか雨雷雨になる可能性あり、、。

なな、なんだって!両日ともピカ天とはならないか、、。残念。
だが、雷雨になってもいいから試合中は降らないでくれ。

12日の最高気温の予報は27°、そりゃ涼しいな。

わたしはこの頃水曜日休み、行くわ。
場所、大和引地台球場って、ここ行ったことあるか?
あるはず、いや行った。

最寄り駅桜ヶ丘、どこだ?そこは?
まぁ、良いわ。行ったことあるはずなら再度行き着けるはず。
とにかく、駅までは1時間でたどり着けそうだ。

勝つんだ(´∀`)息子の後輩たち。

だがだ!
初戦突破した暁には、次なる戦いは、、。
16日日曜日、小田原だってガ━━(;゚Д゚)━━ン!!
日曜日の試合開始予定13時30分はわたし的にとても微妙なセン。

だがな。よりによって小田原球場か、、(;_;)

小田原にも行ったことがある。
1時間に1本の御殿場線に乗ってやっとのことでたどり着いた。

いいところですよ。とても。
でも遠い。
どれくらい遠いかというとメットライフドームより遠い。

16日の長期予報は曇りちょこっと晴れ、そしてにわか雨、雷雨。
何だよこれ、この頃にはいい加減に梅雨明けてくれよ。

小田原、、。行けるかな?
だがだ。

とにかく勝ち進めばまた次の試合がある。

今年も熱い夏がやってくる。
勝つんだ。息子の後輩たち。




仔猫と子供だった頃

今や大人となって家から出て、うちで一番の(たぶん)高給取りとなった息子もかつては小さな男の子だった。
そして、最早故猫となってしまったうちの初代ラッキーキャットのシーラ、その姉妹ちゃぴこも小さな仔猫だった。

子供も猫もすぐに大人になってしまう。寂しい。
息子、少年野球団に入る。
より早く、わたしたちがアパートに住んでいた頃、シーラとちゃぴこはやってきた。

そのアパート、今時には珍しく各部屋にベランダがあってそこに洗濯物を干す構造でなく、3階4階の住人は共同の洗濯物干し場、共有ベランダとでも言うべきか?
そこに洗濯物を干した。
布団も干した。ついでに子供プール持ち込んで使用済みの簡易プールも干した。

ベランダガーデニングもした。
夏場は横浜港の花火が見物できた。

なかなか出来た共同物干しであった。
ついでに飼い主に逃げられた猫たちの昼寝の場所も提供してた。

そんなん有りか?
って思います。たぶんNGだったんだろうけど、猫はやってきた。

そしてこのように
アル一家
背中を向けているのは白き大猫アル。
プランターに入っているのは左からサビ猫ちゃぴこ、白猫シーラ、そして一番右はお母さん猫バイカラーのぶっちゃん。

このあと、ちゃぴこ、シーラはうちの猫となり、アルとぶっちゃんはうちの2軒先の家に引き取られた。
世話をするブチこ
仔猫の世話をするぶっちゃん。

一族のうちに白猫クリストファーだけはいないが、孤高の猫、野生の猫と言われたクリストファーはこの頃から誇り高き猫らしく単独行動し新たなテリトリーの開発に旅立ってしまった。

確かにうちにクリストファーの写真が1枚だけあったので全力を上げて探し出しております。

だが野生の猫クリストファー一族とは最もつるまずに生きてはいたけれど、わたしたちに冷淡ということはけしてなく。
当時は息子は小さい子供だったのでチャリの後ろに子供座席をつけて乗せていた。

今のチャリ子供席のような立派なものではなかったが、一応装備していた。
その子供座席は昼も夜もクリストファーの寝場所となった。

猫は止まっているチャリ、バイクに乗るのが好きだがこの一族ではクリストファーが特化していた。
最も悪き猫として名が通ったのもクリストファー。

そしてある事件をきっかけに、アル、ぶっちゃん、シーラ、ちゃぴこたちとは違う波乱の猫生を辿り、とうとうクリストファー終の棲家にうちを選ぶ。




はじめての試合

猫が飼える家。そして息子少年野球チームに入る。
そのようにして、猫と少年野球の日々が始まった息子小学校1年生の夏、はじめての試合出場となった。

なんと、主力選手の5年生が体験学習で留守、この年ほとんどの主力は6年でなく5年。
1年生で野球チームに入って何ヶ月か、フライが捕れるかどうか極めて怪しい。(いや多分はまだ無理。)
息子も数合わせのため徴兵された。

しかも試合会場は本牧市民・臨海公園の運動場の野球グラウンド。
なんだ?そこは???!
立野小学校や柏葉公園で試合するんじゃないのか?

なんだか本格的な試合じゃあないか!大丈夫なのか?



わたしが少年野球の公式戦というのは未知との遭遇。
そして、本牧市民・臨海公園はバスに乗っていかなければたどり着かない。
ひとりでバスに乗れないことはないだろうけれど、そのような危険は犯すわけにはいかない。

わたしが付き添って行かなければ、そして少年野球の試合がどのようなものか是非とも見物しなければならない。
本牧市民・臨海公園
↑ここです。
海の近くにこのような施設があったとは、この時まで知りませんでした。
とても素敵な公園です。広い。

でもこの管理センターは確かに見覚えがあるのですが、野球場は雰囲気が違う。
昔は何面か取れてたような気がする。
もしかしたら違う公園だったのか?
でも確かに管理センターはここだった。あれから改修したのでしょう。

試合が終わったら公園内を見学して歩いても良いわ。
さて、試合が始まる。対戦相手は、忘れました。
で、主力ほとんど欠いたチームは残念なことに負けてしまい、息子試合に出るといってもちょこっと外野守った。
幸いに球は飛んでこなかった。

最後の方にバッターでも出る予定だったが、打順が回ってくる前に試合は終わり残念なことに打席には立てなかった。

小学生としては猛体力誇る息子。また中年女としても猛体力誇るわたしもはじめての公式戦に疲れ、公園見物は後日に譲りバスに乗って帰ってきました。
息子はバスの中で寝た。

あと何年かは試合に出ることはないだろうが、いずれは輝く少年野球の星となるのだ。
だが小学校は6年。
レギュラーになれるまでにはあと何年か?
小学生生活はまだまだ長い。




柏葉公園

猫たちをドードーと飼える環境は整い、野球少年となった息子は無事小学生となって立野小学校に通うようになった。
保護した当時小さな仔猫だった姉妹猫は大猫となり、とりわけサビ猫のちゃぴこは肥満猫になってしまった。

店子さんの猫さんたちとは仲がいいわけではないが、喧嘩もせずに平和な日々が続いたが、相変わらずアル、クリストファー、ぶっちゃんのもともとの飼い主の所在はつかめず、失踪したとのウワサすらあり。

だが、なんとアルとぶっちゃんは賢くも新たな飼い主しっかり見つけましたね。
クリストファーだけが野性化して新たなテリトリーを求めて旅立ってしまった。

息子は冗談みたいながらなかなか熱心に野球に取り組んでいた。
もっともこの頃の後の高校球児時代とは違って、YMCAの水泳教室に通っていたしサッカーもボールを持っていて公園でやっていた。
柏葉公園のグラウンド
↑このグラウンドは野球の試合や練習もしたけれど放課後サッカーの練習もしていた。

公園の注意書き
このようなポリシーのグラウンド、硬式球はNG。
朝行くとよく老人クラブの人たち?!がゲートボールに興じている。
周りは遊歩道になっていて桜の木の並木になっている。

あの駄犬がいた頃にはわたしはこちらを日々散歩した。

だが、高校生になるとサッカー野球はNG。

それはそうだろう、成長の過程を見ればわかる。
中学生、高校生となれば子供軟式野球が如何にヤワだったかよくわかる。

だが、この柏葉公園のグラウンド及びミッション系盲学校のグラウンドが小学生の軟式野球、サッカーOKだったので、毎日のように柏葉公園、盲学校、立野小学校の校庭で放課後過ごしてました。

柏葉公園はこの金網の貼ってあるグラウンドとは別に金網なしの桜の大木と藤棚まである小さなグラウンドもある。
児童公園
遊具のある児童公園もあり、ここでは赤ちゃんの頃から遊んでいた。
奥に見えるのはログハウス。

ログハウスは小学生までの利用。
だが、残念この建物が建った頃にはもう息子は小学生も高学年になっていた。(なのでわたしはよくわからない。今度取材してこよう。)

そんな猫たちと共に成長し、野球少年となった息子に小学1年生の夏休み早くも試合出場の声がかかったΣ(゚д゚lll)
外野手出場してもらうかも知れない?
フライ捕れるのか?

うちの息子は天才か?いやそんなわけではあるまい。
そのとうり、もっと大きな少年より上手だから試合に出るわけではなく、試合日程と5年生の体験学習(昔は林間学校と言った。)の日がバッティングして5年生のほぼ全員が出場不可となった。
たとえ、負けるのがわかっていても棄権するワケにはいかないので数合わせに1年生も出てもらうかも知れない。

息子初めての試合。
頑張るんだ(((o(*゚▽゚*)o)))




猫と家と少年野球の始まり

白毛金目銀目、サビ緑目の♀仔猫を手に入れたわたし。
母猫ぶっちゃんの飼い主には特に了解は得なかったが、この猫たちはわたしのものさ(キッパリ)

というか、白猫クリストファー、アル、バイカラーもしくはパンダ猫ぶっちゃんの飼い主は姿を見ることが極めて少ない。
ウワサによると夜働きしている。
とも演奏旅行((’◇’))に出ているとも(一応ミュージシャンだということだ。)、、。

どこで何してるかはとにかく、訪ねていっても偶然会うことを想定してもいないもの了解得るも得ないもない。

とりあえず、猫はうちの(=ΦエΦ=)となった。

そしてぶっちゃんもしくはブチ子+白猫2の飼い主アパートのとなりに家をわたしは手に入れる。
さぁ、ドードーと猫を飼うのだ。

そして、その家はアパートを改装したボロ家なので間借り人を置くことに決定。
間借り候補者あっという間に現れ、猫3匹連れて来ていいですか?

って、間借りするとしたらお宅様だけだから丸ごとOKよ。
で、決まり。

うちはわたしの猫となった白猫シーラ、サビ猫ちゃぴこと間借り人猫3匹の多猫所帯となった。

その頃、息子は町内会の少年野球チームに入りたがっていた。
だが、時は息子まだ保育園児、野球というものは小学生くらいにならなければ無理であろう。

だが、その少年野球チームの世話役の竹之丸地区には極めて少ない商店主からなんと入部を薦められる。

「あのー、まだ無理では、、。いえ、それ以前にあのような小さい子供は邪魔ではないでしょうか??」
いえいえ、あれくらいになればたくさんです。
本当か?

ならば、本人も入りたい。と、言っているものの反対する理由はわたし的にはない。
時に息子保育園年長組、成人したのちには185cmまで身長は伸びたが、この頃から背だけは保育園で1番高かった。

この少年野球、リトルリーグのようなカタギなものじゃなく、軟式で町内会の付属。
更に最年少とはいえ、入ったのだから何年後かのレギュラー目指さなくてはなりません。

だが、野球の練習は保育園児とはいえ家するわけには行かず、道端では危ないヽ(`~´)ノ アブナイ!!

だが、うちの恵まれていたことは

盲学校のグラウンド
4軒先に盲学校のグラウンドあるのです。

全国的にも珍しいミッション系私立の盲学校です。
近所の子供には使わせてくれるのです。

今現在は世の中が物騒になってきたので
施錠された門
このようにわたしの家側からは施錠してありますが、息子が保育園児から小学生だった頃はこの門じたいがなくて断りなしに子供野球の練習ならしてもOKだった。

猫たちと少年野球との幸せな日々の始まり。




またもや中心選手となる~社会人編

今現在の話、時々予告なく息子は帰省する。
就職したその時には2年間は帰ってこられないかもしれない。

と、言っていたが、テキトーに帰ってくる。
息子が車で帰省すると、助かるのはその車をわたしが使えること。
重い物や嵩張るものをまとめて買い出しに行く。

今回もフイに帰ってきた。

車は元はうちの車だったものを息子赴任先決定のおり、息子に譲った。
茨城県で新聞記者を勤めるには車は必需品だからだ。

そこにいくと、うちの方は車はあれば便利だがなくてもどうにかなる。
なので、そのまま息子のものとして水戸ナンバーとなって時々うちに来る。

おかげさまで今年は自動車税払わなくてすんだわ。
今回はわたしは箱入りペットボトルの買い出しをすませ、息子はお洒落な店での服の買い物をすませた。
やつは来月ボーナス出るし、今やうちでは1番の高給取りだ。

そして息子帰省の日には是非聞き出したかったこと。
スポーツ取材はとにかく、野球はもうやっていないのか?

残念なことにもう野球はやってない。とのこと。
だが、年に2,3回ソフトボールの試合をしている。そうだ。

そうか!そんなチームにはいっったのかどんなチームでどこと試合するのか?





それが、、!

試合をするは茨城県警科捜研チームvs県警記者クラブチーム。
その中でもと高校球児はふたりだけ。

したがってうちの息子は最強の選手のひとり。
やったね(((o(*゚▽゚*)o)))

そして一人前の社会人になってくれたものだ。

では是非試合を観に、、。
と、いってもね。
茨城まで行くのか、、。
それに年に2、3回じゃわたしの都合と合わない可能性の方が高い。

それにこれこそ親が観戦に行くものなのか?ふつう行かないだろう、、。

とうとう息子試合観に行くこともなくなったか、、。

社会人になってくれて、給料もボーナスも出るようになってくれたのは本当に良かったけれど(´∀`)
息子の試合のない暮らしは慣れたとはいえ寂しい。

はぁ~(゚Д゚≡゚Д゚)?
心の何処かでやっぱりあの日に戻りたい(;_;)
高校球児だった頃はよかったヽ(;▽;)ノ

せいぜいわたしは野球観戦、プロ野球の二軍戦と、独立リーグの試合日程調べて観戦に出かけよう。





孤猫に満ち溢れていた頃

昔は良かった。
わたしもその程度には年取った。

どう良かったかっていうと、この家のまわり空き地が多かった。

今、わたしの家の前に6軒の家の地所は元は駐車場、その前は某デパートの女子寮の成れの果て、つまりは廃屋だった。
家6軒分が建ったくらいの広さがあったんだから今思えば庭がバカに広いおっそろしく贅沢な造りだったのだ。

廃屋というのはなんだかゾクゾクするような魅力がある。
それが何?
空家なんて迷惑以外の何者でもない。
のご意見は重々承知だけど、、。

とにかく、遊んでる空間が多かった。
後に高校球児となり、そののち大学生、塾講師、俳優、新聞記者となってとうとう家を出てしまった息子は子供だった。

その廃屋の近くにこれまた時代に取り残されたようなアパート、そこにある時珠のごとく美しい白猫が引き取られた。
はたまた、違うアパートのおじさんが面倒を見ている金眼銀眼の玉三郎という名の大きな♂の白猫。

なんでも珠のような白猫は旅行中のお友達から留守の間預かっているという。

なのでほんの数ヶ月で珠の如く美しい白き♀猫は姿を消す。
お友達に返した。という、、。

だが、なんとまぁ、仔猫差し上げます。の張り紙。

どうしたんでしょうね?まさか(゜д゜)
そうです。
あの美しき白猫の子供だそうです。

仔猫は白の♂2匹白黒バイカラーの♀1匹。
貰い手仔猫の頃つかず、お母さん猫は元の飼い主に返したが仔猫は残った。

仔猫たちの運命や如何に?あの猫預かりのお兄さんは3匹の猫を飼えるのか貰い手見つけられるのか?
猫は1年で仔猫じゃなくなる。
猫ども3匹とも飼われていて、貰い手は見つからなかったらしい。

わたしが貰っても良かったのだけれど当時はアパート暮らしだったし一応飼い主いるんなら良かろう。
飼い主さんちゃんと名前をつけていたが、、、。

猫たち、うちの息子ともよく遊んでいた。
遊びついでに3匹猫の本来の名前とは違う名前を息子は付けた。

白猫2匹はクリストファーとアル。バイカラーはぶっちゃん。



猫は1年で大人になる。
仔猫でなくなった猫、クリストファーは新しいテリトリー求め放浪の旅に出てしまった。

アルは留まった。
そしてぶっちゃん仔猫を生む。

飼い主。どうする?
だがだが、どうも飼い主の所在が掴めない。クリストファー、ぶっちゃん、アルは飼い主の帰り待つにしても仔猫は、、。
クリストファー、アル、ぶっちゃんは孤猫となってしまったのか?

その時息子確か3歳か4歳。
まだ手がかかるが猫くらいいてもどうにかなるだろう?

そんな時、わたしのとる道は、、。
孤猫となったぶっちゃんの仔猫、白の金眼銀眼シーラ、サビ猫のちゃぴこ頂いてこっそりアパートで飼育することにした。

次なる手立ては、この近くに自己所有の一軒家手に入れて音楽教室を始めて息子と仔猫2匹を育てるのだ。




草野球の日々

息子、大学を卒業し塾の講師その他に就業しつつ芸能活動をする。

忙しい日々を送っていた。
と、言いたいところだが、塾もその他も常勤なわけじゃなく芸能人としても売れているわけでもない。
舞台があればそりゃ大変だけど常時あるということではない。

つまりは就職した同期の高校チームメートや大学チームメートの中では時間の都合はつくほう。
そのためもあってか大学卒業しても2つくらいのチームに所属していた。

ひとつは高校の時のお友達チームもうひとつは塾のチーム、その他にもうちの息子は高校時代スタープレーヤー??!だったので、頼まれて試合に出ることもあった。



だが、とうとうこの頃からわたしは息子の試合を観に行くことはなくなった。
だいたい、息子もう自分で車運転して試合に行く。

帰ってくれば相変わらず洗濯物一式を出してくれるが、高校の頃みたいだ大掛かりな洗濯はしなくてすむようになった。

この大学卒業してから、就職するまでの期間は熱心に観に行ったのは息子の舞台のほうで息子野球への愛は衰えていた。
それでも1度、わたしでなくうちの元球児パパが息子草野球を観戦した。

それも息子の活躍を目の当たりにした一心で出かけたんじゃない。
忘れ物届けに行ったのだ┐(´д`)┌ヤレヤレ

そのついでに観戦したのだが、ふたり帰ってきて、、。
あの子(高校の頃のチームメート)はもう走れないのか、守れないのか?!って、、。
そりゃそうよね。

高校時代の記憶あるものだから、あらどうしたんでしょ?なんでこんなに動き悪いの?
になるのだろうけど、高校生の頃とは完璧に違う。

強豪校ではなくて県立高校の部活。の野球部とて、私服着る暇もなく練習して毎週試合して、しょっちゅう怪我して病院通いして、ミヨシの固形石鹸と漂白剤大量消費して日々大量のご飯炊いた日はもう遠い。
あのノリで野球の練習してたら誰も仕事にならないよ。

その草野球の日々も今は遠い。
これで息子野球とはおじいさんになるまでエン切れるか?
と思いきや、とんでもないご縁が出来てきた。

就職先が新聞社なもんだから取材に行くようになった。
だが、これは本人的なこと。
わたしが息子の取材にくっついて歩くわけにはいかない。

ホント、あと5人くらい男の子生んでおけば良かったヽ(;▽;)ノ