さて、大和引地台球場って、どうやって行くんだ?
2年生の夏、まだこの頃はママ友たちとチームを組まないで単独行動していた。
相鉄線大和で降りる。まぁ、なんとかなるであろう。
2004年7月12日。
スタジアムが近づくにつれてのワクワク感。
息子高校生になってはじめての公式戦。
勝ってくれ、勝つんだ!そして、なにより試合に出てくれ!
だが、どうもこの対戦カード相手校の藤嶺藤沢高校強いらしい、、。
2004年、前年の涼しい夏の2003年のぶんを取り戻すかの如く、暑い夏となった。
相鉄大和駅からトコトコ歩いて約15分、吹奏楽のクラブやチアのクラブも来ていて、何だか本当に、、。
高校野球している。
よくぞここまで成長してくれた!
思えば長いような短いような16年。
うちの息子は8月生まれなので、正確には16年11ヶ月。
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選手一人づつ、ちゃんとテーマ曲があってうちはさくらんぼ。
だが、この日の試合4対1で藤嶺藤沢高校の勝ち。
横浜緑ヶ丘高校の夏は終わりました。
そして、息子も背番号15をもらいながらも出番ナシ。
ううううっ、か悲しい、、。
2004年、7月12日。夏の終わりに大和引地台球場引き上げようとした。
その時。
スタジアムに来ていた同学年のママ友。
これでわたしたちが最上級生、父母会の活動の中心となる。
キャプテンの親が(うちの息子はキャプテンになる心配はない。)例年、父母会の会長なり会合の場を設けるので、では早速、、。
ええっ、そっか!
夏の終わりは新体制の発足、息子よ来年の夏こそは試合に出てくれ、そして活躍するのだ!
わたし頑張るわ\(*⌒0⌒)♪
2003年春、高校硬式野球部入部について少なからず文句言ってたわたし。
2004年夏には丸ごと、高校野球にハマッていたのであった。
夏場の球児ママに是非とも必要なのは容赦ないスタジアムの紫外線対策。
このような日焼け止めは是非とも必要。
ですが、真夏の太陽光線は日焼け止めだけでは防ぎきれるものではありません。
だが、日焼け対策を怠れば後々、どのような大惨事に見舞われるかは火を見るより明らか。
夏のスタジアムは気温40°以上にもなるので当然盛大に汗をかくので汗に強いタイプの日焼け止めがお薦め。
それに加え
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このようなお洒落なバスタオルをブルカの如く、頭から被ってしまう。
それでも、日焼けはします。
もう、これは宿命ですが何もしないで劣化、酸化させておくテはありません。
現在使っているのは
この基礎化粧品、息子社会人となってしまった今でも野球それもデーゲーム観戦は好きなので日焼け止めに加えて中年の肌にあうスキンケアは欠かさずしております。